「堀の波平家」氏神~谷山中央
2009年 04月 13日
当ブログにたびたび書いている刀工「波平」。その分家「堀の波平家」の屋敷跡に残る氏神です(右写真)。
先日、当ブログ「谷山散策」でご紹介した「坂之上家の焼入れの水槽」に続き、愛刀家Tさんが現在の所有者の許可を得て撮影した貴重な写真です。個人の屋敷内にあるため勝手に見学はできません。
「波平」は、平安時代に大和国(奈良県)から薩摩に下った初代正国以来、幕末・明治維新期の64代まで綿々と続いた刀鍛冶の家系は全国的にも稀有。本姓は橋口氏で、いく人か輩出した名工による日本刀の中には重要文化財指定の日本刀もあります。
「新刀期」が始まるころの当主・安張(号・寿庵)は坂之上で作刀し、現在も「寿庵の松」碑が屋敷跡にあります。その安張の孫の代に「波平」は3家に分かれます。本家(笹貫近く)は末子相続となり、嫡男家が「坂之上家」、そして次男が武家集落「谷山麓」の北を流れる永田川近く、現在の鹿児島県立南高校近くに「堀の波平家」を新たにたてました。
刀鍛冶は、居・鍛冶場を結構移しているようで、刀剣に詳しい先輩方の話を、どこどこでも鉄くそが出ていたらしい、などと伝え聞きます。かつて鉄くそがたくさんあった田んぼや畑も宅地化で面影がなくなっています。
Ex-Tannyaman さんがおっしゃる三角地を含め土地区画整理事業が進んでいます。谷山駅前から伊作街道沿いの古い集落は今後何年かで大きく変貌します。