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夜更かし、朝寝…気ままな暮らし

山路を登りながら、かう考へた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」(夏目漱石・草枕より)

昨夜、というか今朝はいちだんと夜更かしが過ぎてしまい、外が白々と明けていました。
自営業で、店にひとりで長くいる分、自分の「自由時間」である夜を楽しみたいという願望が最近かなり強くなってしまいました。
午後9時に閉店し、店内の清掃や、日によっては焙煎、鉢物への水やりなど済ませた後の時間をできるだけ長く楽しみたいと、日課の運動に続いて、インターネットをめぐってみたり趣味の本を読んだり、ゆったりと自分用のコーヒーを点てて飲んだり。近ごろハマっているのがDVD「Xファイル」。現在6シーズンまでたどり着きました。
今朝は午前4時半まで観て、それから歴史本を30分読んで、朝を迎えたわけです。部活のある次女が起き出す時刻です。

「もう少し早く寝て、早く起きたほうがいいですよ」と何人かの知人から言われ、一時は私もそうだなあ、このままじゃ不健康だなあ、とも思い直そうもしましたが、8月になって少々気が変わってきました。
「一度の人生、好きなように生きた方がいい」と、開き直りのような人生観が芽生え、自己否定するのを止めることにしました。
あれもダメ、これもダメ、でこの先、何があるのだろうか、と。

刹那的に聞こえるかもしれませんが、この年になるといつ死んでもおかしくありません。あちこち体のパーツにガタがきているでしょう。
「長生き=健康=幸せ」を行政も多くの人たちも「良いこと」として勧めます。
でも、偏屈者の私は別に長生きもしなくてもいいですし、すでに健康を害しています。だからといって不幸かというとそうではありません。ささやかながらそれなりに幸せです。体の不具合も、だましだましのメンテナンスでまだ機能するでしょう。
それよりも、心の充足を願うのです。
いまやりたいことはいまやろう、と。

親しい人や身内が亡くなったり、健康を害していると聞くと、確かに悲しくもなります。別れのつらさというより、残されるものとしての寂しさなのかもしれません。
不思議なことに母が亡くなって数年が経ちましたが、母は私の中でまだ生きています。実家に行くと、母は別の部屋にいて私の目の前に姿が見えないだけのような気がします。
最近、ご近所の知り合い、少し親しくしてもらっていた人の不幸が続きました。
「あの世」「来世」を信じているわけではありませんが、私は母が亡くなるとき、大きなひと息をついた後に肉体から魂がすーっと抜けていくのを確かに感じました。残った肉体はもはや、「物体」でした。
肉体と魂は別、と思うようになりました。
だからこそ、母は私の心の中で生きているのです。

これをしたい、というのは私の魂がいま求めていることです。
それをこれまで、社会通念だとか常識だとか慣習だとか、よくあるのが翌日の仕事に影響するから、などと理由をつけて自己規制してきました。最近、この自己規制に疑問を持ち始めました。
ひとつには「うつ」を発症したことも大きいでしょう。一度自己崩壊し、再度生き直そうと、若いころの自分の魂を呼び覚ますことから少しずつ自分を取り戻しつつあるわけですから。

私の夜更かしなど些末なこと、他人に関係のない話で恐縮ながら、私にとってこれらは魂が求めることであり、それを素直に行うことが私にとっての「規則」「健康」「常識」なのです。他の人々にとって「不規則」「不健康」「非常識」、特に「翌日の仕事に影響するでしょう」という「計算」からは決してほめられたことでなくとも、私にはいま目の前の「やりたいこと」をやる、というシンプルな生き方を実践します。
この8月、自己弁護のような文を記録しておこうと思いました。
Commented by イマガワ=ジン at 2009-08-30 15:39 x
日本の現代社会はあまりにも非人間的、共感できる話ですねぇ。
例えばお盆に観光地は満員で航空券もクソく高く、せっかくの休暇が劣悪極まりないのにそれを受け入れるのが当然なのは最悪ですね。両親は有給休暇・子供は学校休んで平日に家族旅行したら社会不適合呼ばわりされるのは間違っていると思います。
Commented by gayacoffee at 2009-08-30 18:44
イマガワ=ジンさん、ありがとうございます。
50歳をまだ若いとみるか、もう50歳とみるかでしょうが、私ももうすぐ50歳を迎える年になって、最近、社会のどうでもいいようなしがらみや愛想笑い的なことに迎合するのが面倒になって、好きなように生きたい、生きようと思うようになりました。かといって反社会的なこと、非常識なことをたくらんでいるわけではありません。
いままで作り笑いをして、「あ、いいですよ~」など言っていたことを止めようと。先日も、新聞の切り抜きをファクスしてほしい、と頼まれたのですが、朝の開店準備の忙しい時間でもあり、当店のファクスは巻き込んでしまうため一旦コピーしないといけない面倒もあって、あっさり「時間がない」と断ってしまいました。ぽっと口から出るようになったことが、とても気持ちが良かったのです。そんなことで他人からどう思われようが、自分がいま優先すべきことをやる、他人のお手伝いも必要性や自分がお手伝いできるかを一瞬で判断して動く、直感的な生き方がいい、と思うようになったのです。
by gayacoffee | 2009-08-30 13:05 | ガヤマスのつぶやき | Comments(2)

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