脱うつには「いい人」を止める!
2009年 09月 12日
別に自慢にもなりませんし、心の病だけに本人でも分かりづらい病気で、自分の体験を書くことにはたして普遍性があるのか疑問ながらも、少なからずいるうつ病の人、またはうつ気味の人などの参考になれば、と非常に独断的につづっています。医学的根拠などなにもありませんが、「実録」ということでご勘弁ください。
うつは自己否定の病ではないか、と思っています。
「これもできない。あれもできない」「この仕事が終わらない」「こんなはずじゃなかった」。あるべき姿を描きながら、ふと忘れっぽく疲れやすく、仕事や作業をこなすのにえらく時間がかかるようになっている自分に気づき、それでも無理して過ごしていると突然体が動かなくなってしまいます。起き上る気力すらなく、心が砂漠のように日上がっています。
一体何が起きているのか分からず、とにかく体が動かない…。他人にはただのサボり癖、ダラケ、ぐうたらとした見えないでしょうし、自分自身も「ダメだなあ、自分は」と思ってしまいます。
ダメ、ダメ、ダメ。自己否定の最終結末は自殺でしょう。
おそらく。おそらくですが、うつになりやすい人は仕事やプライベートでも「こうあるべき」という理想を高く持っており、その「あるべき」ものに向けて潔癖なほどこだわるタイプではないか、と思っています。理想と現実とのギャップが引き金になることが多いのではとも考えます。
「ま、いいや」と思える人はうつになりにくいでしょう。「そんなことできませんよ」と上司や周囲に気軽に言える人もうつになりにくいと思います。
「私にはできません」。これを深刻にならずに言えるなら、なにも悩むことはありません。
なかなか言えない言葉です。
自分自身を振り返れば、私は気が小さいのでしょう。
優しい(優しそうに見える)、几帳面(みたい)、義理深い(ように見える)、節度がある(ように見える)。
実際には、気の弱さを隠すために、「いい人」を装っている気がします。酒を飲んで都心の公園で大声を出していた草彅さんのようでしょうか。
何か口にすると爆発しそうなまで我慢することがあります。我慢せよと誰に頼まれたわけでもなく、ただ現状が大きく変わることが怖くてじっとしていたけれど、どうにも限界がくる感じ。でも、相手には我慢していることすら伝わっていない…。こういうタイプの方は、要注意です。
変な気配りを止めることにしましょう。気配りと言いながら、実際は保身の場合が多いからです。嫌われる勇気を持てないのですね。歴史を見ると、大人物といわれる人たちは目的のためには周囲からなにを言われようとも信念を貫いています。この勇気です。
「悪い奴ほどよく眠る」とは、三船敏郎さん主演の黒澤映画ですが、ふてぶてしい人はよく眠り、うつにもなりません。必要のない気配りを止めることが、脱うつの一歩のような気がしつつ、気の弱い私は「悪い奴」にも真に「優しい人」にもなれずにいるのです。
自己分析しながら病気を理解し受け止め、自分らしい生活をしているところに、私の心のなかで「それでいいんじゃない」ってパソコンにむかって話しかけてます。
私は、上司に「そんなこと出来ませんよ」とは言えませんが「ま、いいや」と思える人なので・・・(笑)
「十人十色」いろんな人がいて当たり前で「自分らしい生き方」が好きです。50数年「ま、いいや・・・」で自分らしい生活をしています。
そのなかで「自分はダメな人間だなあ~」って思うこともたびたび。。でもダメ、ダメ、ダメ。自己否定の最終結末の”自殺”にならないのは「ま、いいや」のおかげでしょうね。。。うんッ??
気づきました!「ま、いいや」には不思議なパワーがありますよ!!
ガヤマスに感謝!!
私は、うじうじと悩むくせに最終的には自分の思う通りにやっております。それならいっそ、悩むことを止めればいいのですが…。
自分には「ま、いいや」、他人には赤塚不二夫さんの「それでいいのだ」のココロで、ぼちぼちマイペースにいきましょう。