人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「波之平刀匠のわき水」記事に補足~南日本新聞

「波之平刀匠のわき水」記事に補足~南日本新聞_e0130185_1621086.jpg
左記事は、地元紙「南日本新聞」の10月9日付けに掲載されていた、「波之平刀匠のわき水(鹿児島市東谷山4丁目)」の紹介記事です。「むらまち散歩 かごしま再発見」という連載の1本。
「平安時代から明治初期までの900年間、刀工・波平一類がこの地に残るわき水でかつて刀を作っていた。今でもこんこんと水がわき、地域住民に親しまれている」という内容で、地元の方の「地域になくてはならない財産。大切に残していきたい」との言葉で締めくくっています。

同記事はほぼ正しいと思われますが、おせっかいにも、一部補足をさせてください。
また日本刀か、と言われても、そう言われる時代であるからこそ、しつこく当ブログではつづっていきたいと考えます。

①「波平」の刀工は、この地、「波之平」を拠点に平安から明治初期まで鍛刀したことは確かですが、記事にある「この地で波平という刀工一派が薩摩刀を作っていた」では、ここだけにしか波平の鍛冶場はなかったと誤解する人もいるかもしれません。正確には「この地を中心に波平という~」とすべきでしょう。
当店のある坂之上の刀工史跡「寿庵の松」の寿庵こと波平56代橋口安張のひ孫の代に本家を含め3家に分かれ、それぞれの地で鍛刀し明治を迎えています。現在の東谷山4丁目の「波之平刀匠遺跡」の地は、その「本家」です。分家では、当店のある坂之上に「坂之上家(嫡家)」、谷山の中心地、永田川に架かる清見橋から県立鹿児島南高校に向かう伊作街道沿いには次男家「堀の波平」が鍛冶場を構えています。その「堀の波平」から江戸期に分かれたのが「鍛冶屋島の波平」で、鍛冶場は鹿児島市立和田小学校と和田川を挟んで、かつて田んぼの中にぽつんとあった「ススメガ塚」(宅地化で破壊され現在はない)付近と推定されるようです。
もっと細かくいうと、坂之上でも「坂之上家」の屋敷があった「寿庵の松」のほか4カ所の鍛冶場があった、とする地元愛刀家もおられ、いまでも畑や庭先から鉄滓(かなくそ)が出てくる場所も確認されています。

②記事中の「豊富なわき水は、熱した刀身を冷ますために使われたとされる」で、「冷ます」の意味が分かりませんね。よく「付け焼刃」とか「焼きが鈍(なま)る」などと言いますが、この「焼き」こそが日本刀を作る上で、最も重要とされるところ。
刀は、砂鉄を精製して作られた鉄を、炭の中で熱し鉄鎚で叩いて延ばしては折り返して鍛えた後、棒状の刀の姿に伸ばし、約750℃~900℃に赤く熱して、水またはお湯に一気に刀身を沈めて焼き刃を作ります。ユーチューブで現代刀工が「焼き」を入れる動画を見ることができますが、「冷やす」などと生ぬるい表現は適しません。赤くなるまで炭火で熱した鉄を一気に水に投じるわけですから、ジュワ~と水蒸気が立ち上り、水もグラグラと沸騰を始める勢い。この「焼き」を入れることにより硬い刃が生まれ、赤く熱する際に刀身に置いた土の厚さや形状によって焼きが入る部分と入らない部分、あるいは多様な紋様(刃紋)が化学変化により生まれ、日本刀の大きな見どころともなります。
ゆえに、上記の「熱した刀身を冷ますため」では、それこそ「焼きが入らない」記事と言えるでしょう。
by gayacoffee | 2009-10-15 19:44 | 居合道・日本刀 | Comments(0)

鹿児島発! 生豆を水洗いする自家焙煎コーヒー店の日記


by gayacoffee