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坂之上「アンダ坂」横の庚申供養塔・石仏・祠など

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2008年12月13日の当ブログ「谷山散策」で紹介した、鹿児島市立和田中学校横から坂之上西集落へつながる通称「七曲坂」は別名「アンダ坂」(上写真)とも呼ばれます。名前の通りくねくねと急な坂を登り切った横にあるYさん宅に、江戸時代に建てられた「庚申供養塔」があります。また、同じく敷地内には、「アンダ坂」つまり「阿弥陀坂」の語源となったと思われる仏教関係の遺物があります。Yさんの許可を得て、撮影させていただきました。

庚申供養塔
谷山観光協会刊「谷山の歴史と文化財」によると、この庚申供養塔は谷山唯一のもので、高さ1・34m、幅28cmの円筒形。竿石の上段に地蔵尊が刻まれ、その左右に「延享四年(1747年)丁卯年二月時正日」、下段に「奉庚申供養施主男廿一人、施主女九人」「肥後山口之十人石切金兵衛」と刻銘があります。
庚申とは、十干十二支にいう庚申(かのえさる)のことで、この日に人間の体に住む「さんし」の虫が天に上って、その人の罪を天帝に告げるので、その夜は眠らずに精進し夜を明かす習わしが室町時代からあり、庚申供養のために建てられたのが「庚申供養塔」とのこと。
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Yさん宅庭にある仏教遺物類
これらは鹿児島市の歴史案内本などにも記載・紹介されていません。Yさん宅で大切に祭られているようです。「谷山市史」にはこの一帯に「阿弥陀堂があった」と書かれていますが、詳細は不明です。まだまだ専門家による研究や調査がなされていない史跡・遺物が鹿児島市内にもあることをうかがわせます。
表面が摩耗している石仏
高さ40cmほどの小さな石仏です。表面がかなり摩耗しています。廃仏毀釈で破壊されたとの伝説もないため、幕末までのうちに自然に摩耗したものでしょうか。時代不明。
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仏様が刻まれた祠のような石塔
石仏の向かって左に2つの石祠にようなものがあります。いずれも仏様が刻まれています。神仏混淆でしょうか。向かって左が高さ1m50cm超、右が同1mほど。時代不明。また、祠の後ろに長さ1m50cmほどの石塔が横たわっています。
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彫刻のある上手鉢
直径80cmほどの上手鉢です。彫刻があります。仏教系の遺物かどうかは不明。石祠の北側に隣あって置かれています。
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アンダ坂を登り切った横にあった土塁(?)跡
アンダ坂は、シラス台地の谷をつづら折りのように登り、その登り切ったあたりは掘り底道のようになっています。幅4mほどで、古い道としては広い方ではないかと思われます。掘り底道は古い集落道につながりますが、人家と「アンダ坂」の間には幅4mほど、高さ2m~4mの土手が、10年ほど前まで50m以上続いて残っていました。集落を防御するための土居・土塁とも想像されます。現在は削られて宅地化しています。下写真はかつてあった土手の幅の土地。アンダ坂に近いほど土手は高く、写真のあたりでは4mを超していたと記憶しています。何のために、いつの時代に築かれたか、調査・研究なし。下写真の右手の坂道がアンダ坂。古い集落の道とつながるあたりです。Yさん宅は写真の右高台にあります。
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by gayacoffee | 2010-05-06 13:52 | 谷山散策 | Comments(0)

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