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Amazonで購入した2冊~戦国時代の雑兵の世界

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先日のことです。Amazonのホームページを開いたところ、私が以前購入した履歴から「おすすめ」の本が紹介されました。私の心を見透かされているようで少々気持ちの悪さも感じつつ、なんと欲しい本がぴたり!
新刊、中古本それぞれを送料含めて計算できるため便利です。しかもAmazonから直接送ってくる場合、いまなら送料無料とか。「これは買いだ!」と、2冊を注文、コンビニで支払いを済ませたところ、2日目の今日、段ボールでしっかりと包装され届きました。それが右の写真です。

写真のうち、今回購入したのは左の「戦国の合戦」(小和田哲男さん著)、真ん中の「絵解き 雑兵足軽たちの戦い」(東郷隆さん著、上田信さん絵)。
右の「絵解き 戦国武士の合戦心得」(前同)は先月、やはりAmazonで購入しました。

前からブログで書いていますが、私は日本刀が好きです。
名刀なるものを収集し鑑賞する愛刀家ではなく、刀を正しく使えるようになりたいという派。もちろん日本刀は武器として生まれたわけですから、いまの世の中、刀をそこらあたりで振るどころか、持ち歩くだけでも銃刀法に抵触する恐れがあります(日本刀は銃と違い、「美術品」として所有できます。刀それぞれに登録番号が付いていて、所有者が変わると登録された都道府県の教育委員会文化財担当課係へ届けるのが規則)。

日本刀は純粋に戦さの道具として、または身を守るための武器として生まれました。そこがほかの刃物との決定的な違いです。
戦国期を経て2尺(約60cm=刃長)以上の刀は武士のみが差せるという身分を象徴するものとなったこと、自在に使えるようになるには相当な修練を要することなどもあり、「刀にかけても」などといったように武士道の支柱ともなりました。
人を斬る武器であるがゆえに、「抜かず抜かせず、斬らず斬らせず」との精神性が求められるようになりました。
また、日本人の類まれなる技能の追求力により、世界に誇る鉄の芸術品となりました。反りの美しさ、光にかざして浮かぶ地鉄、波紋の見事さは何ものにも例えようがないほどです。

日本刀愛好家は、美術品として愛する方と武術で使う方の大きく2つに分かれます。どちらか一方に偏る場合もありますが、どちらかの比重が大きいといった愛好家が多いのではないでしょうか。
かく言う私も、居合道に入ったきっかけは日本刀の美しさに魅せられたからでした。ただ収集家ではなかったわけです。

話が横道に大きくそれました。
Amazonで買った戦国時代の合戦、なかでも名だたる武将ではなく、足軽や雑兵に関する本に魅かれたのは、戦国期には全国で戦さが起こり、「備前」「美濃」といった当時刀の一大生産地ですら、織田、上杉、武田、今川、北条、徳川などの軍勢から多量の刀の受注をまかないきれず、足軽や雑兵向けには「数打物」「束刀」などと呼ばれる簡便に打たれた刀が支給されたからです。大量生産は製鉄、刀匠などの分業化も進めました。鍛刀法まで変わった時代です。
薩摩も同様で、島津氏ですら日向の伊東氏を破り北上、大友氏を滅ぼし九州制覇を狙っていました。
そのとき、おそらく「波平」刀匠の鍛冶では昼も夜もなく刀を鍛える音がこだましたでしょう。なにせ、当時一部を除き刀は美術品ではなく武器=実用品であり、戦さでの消耗品でもあったからです。

刀の歴史を知るとき、歴史に名を刻んだ武将よりも、戦場の露と消えた名もなき足軽・雑兵の方が圧倒的に多かったでしょう。平安の一騎打ちの時代から集団戦に戦さも変わると、一層足軽・雑兵の役割が大きくなります。戦い方が変わると日本刀の姿も変化します。
大将の手柄は多くの雑兵・足軽の犠牲の上に成り立っていたはずです。もちろん、雑兵・足軽も、「大将首」を狙って出世を願って戦場に出たでしょう。はたして、そんな彼らがどのような具足を身に付け、どのような食糧を携えて戦場に行き、戦さのない日々は何をしていたのか…そんなことを知りたいと思いました。
当時の武士はもちろん、百姓あがりの雑兵らがどのような暮らしをしていたか、これを知ることで日本刀がよりリアルに浮かび上がってくるでしょう。
by gayacoffee | 2010-08-20 19:23 | 居合道・日本刀 | Comments(0)

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