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吹上にあった飛鳥仏~中村明蔵先生論文より

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「鹿児島県に伝存していた飛鳥仏」-。驚きです。
その論文(右写真)を知ったのはFさんのブログ「鹿児島古希日記」でした。
著者は鹿児島国際大学国際文化学部元教授で同大学院国際文化研究科非常勤講師の中村明蔵先生です。隼人文化の研究で著名な方です。論文は、同大学の「国際文化学部論集」第12巻第1号(2011年4月)に掲載されました。後日、Fさんのブログで「飛鳥仏」のことを知り、驚いた次第です。で、論文を見せていただきました。

その飛鳥仏は薩摩半島西岸部に長く伸びる吹上浜の北部、旧吹上町のやや山手に位置する上田尻という農村の小道にある祠に安置されていました。祠脇には享保2年の年期が刻まれた石碑もあるそうで、仏像はその貴重さを中村先生が行政にアドバイスし、町の歴史館を経て現在は県歴史資料センター「黎明館」で寄託保管されているそうです。
中村先生の以前から仏像に関心を寄せた方々が何人かおられ、地元紙に寄稿された郷土史家もおられた、と論文で紹介されています。

さて、旧吹上町教育委員会はこれら歴史家の指摘を受け、専門家に調査、鑑定を依頼しました。
結果、伝来の仏像は「宝珠捧持菩薩像」で、「朝鮮半島三国時代の作品の系譜に属し、7世紀半頃の菩薩像に共通の特色を持っている」ことが分かりました。ほぼ飛鳥時代の仏ということです。火災に遭っており、肌荒れ、像の一部欠失もあるそうです。
現在大阪市立美術館にある小金銅仏の菩薩立像と最も近い形状をしているとの専門家の鑑定です。大阪市立美術館の仏像は奈良市南部の横井廃寺跡から出土したもので、現在重要文化財に指定されています。
おそらく、吹上の仏像は九州で最古のものということになります。

問題はなぜ吹上に伝わったのか、です。
専門家の鑑定は「もとは奈良、あるいは奈良文化圏にあり、現在地に運ばれた可能性がある。韓国の三国時代のものとして江戸以前、または江戸期に韓国から海を経て運ばれたと考えると、(大阪市立美術館の像と)これだけ近似する2体の仏像が偶然にわが国に存在することになり、それはあまりにも偶然すぎるように思われる」としています。

中村先生は論文で、古代の旧吹上町域は「阿多」と呼ばれた地域の一角であり、「日本書紀」に持統天皇の6年(西暦692年)に阿多地方に仏教を伝えるよう命令する記事が残っていることを紹介するものの、「日本書紀」に記された仏像と吹上の菩薩像とは形状が異なることから、別物としておられます。
そこで、中村先生は、日羅上人の伝承に注目しておられます。
日羅上人は鹿児島市の慈眼寺、清泉寺などの創建にも関わると伝えられる人物で、6世紀の百済の宮廷に仕えた官人であり僧侶です。百済では2番目に位の高い官位を得ていた有能な人物でした。
薩摩半島に広く分布する日羅上人の伝承と百済との関係から、朝鮮半島と薩摩半島の古代における交流の中で飛鳥仏を考え直してみる必要があろう、と中村先生は書いておられます。

ともあれ、飛鳥時代までさかのぼる歴史的価値はもちろん、幕末から明治初期にかけて旧薩摩藩領で狂乱ともいえる勢いで起こった廃仏毀釈の難を逃れ、今日に伝わったことに大きな感銘を受ける論文です。
ちなみに鹿児島における廃仏毀釈は、藩内1066寺のほぼすべてを破壊、僧侶2964人全員を還俗させるという、まさにバカの十乗のような、ある面の鹿児島人の性格を表した出来事です。
Commented by bonn1979 at 2011-10-21 04:49 x
んるほど、朝鮮半島とのかかわり、日羅上人のことが印象に残りますね。

廃仏毀釈については、全国的な展開は明治ですが、鹿児島では幕末から始まっており、その契機が宗教的なことではなく、軍事的な要請にあったというのが近年の研究結果だそうです。とすると、この時の資金が明治維新のおおもとになったわけで、新しい見方もできそうです。
Commented by 常連のNです at 2011-10-21 15:49 x
中村先生は『薩摩民衆支配の構造』という書物を2000年に出版されているようです。
Commented by gayacoffee at 2011-10-21 20:37
bonn1979さん、ありがとうございます。
古代から最も早く多くの荷物を運べるのは船だっただけで、黒潮、親潮の分岐点になる薩摩・大隅半島は、中国南部やフィリピン、琉球、奄美、種子島・屋久島を経て北上する流れと港づたいに季節風で南下する航路を思うと、かなりダイナミックですね。
種子島氏がたびたび海路をつたい上洛したという記録、鉄砲伝来の翌年に当時の先端技術だった火縄銃を国産化するほどの技術力が種子島にあった、という水準の高さに驚くのですが、教科書でも歴史書でも当たり前のように素通りしますね。文化果てる田舎どころか先端技術を持つ人々が地方に分散していた時代かもしれません。地方の衰退は明治以降でしょうか。
Commented by gayacoffee at 2011-10-21 20:39
常連のNさん、ありがとうございます。
中村先生の隼人研究、そして近世に至る支配構造はとてもおもしろいですね。「飛鳥仏」は先生の研究の一端ながら、日羅上人との関連はとても興味深いものがあります。
by gayacoffee | 2011-10-20 20:33 | 鹿児島のご案内 | Comments(4)

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