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曇っています。朝2種類を焙煎。本届く!

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一面、薄い灰色の空です。店内もなんとなくどんよりとした雰囲気です(右写真)。
午後1時半にグループのご予約をいただいているので、その前にブログのアップを、と食器洗いの途中でパソコンに向かっています。

朝2種類のコーヒー焙煎を行いました。
●コロンビア・スプレモ(深煎り)
●コロンビア・スプレモ(中深煎り)
きょうの分はこれで準備万端。電話で多めのご注文をいただいたので、あすの定休日は半日焙煎作業となります。そろそろコーヒーかわら版「Gaya通信」11月号のひとり企画会議もやらないといけません。

追記】=午後3時2分
午後2時ごろ少し日が差してきました。その後、また雲に隠れたものの薄日の名残が店内にあります。
長袖シャツ1枚で原付スクーターに乗って、開店前に近所のスーパーへ食材を買いに行ってきましたが、やや肌寒さを感じました。

朝、相変わらずばたつきました。
コーヒー焙煎の後、スーパーへ走り、イス・テーブルを拭いたりしていたところ床に敷くマット交換、食材の配達、宅配便の方らが相次いでみえらればたばたと対応。新聞代の集金の方には、店頭販売用のコーヒー豆を密封ビンに補充で、ブレンドをして最中で手が離せなかったため、「申し訳ありませんが、少し時間をずらして来てもらえると助かります」とお願いしました。集金する方も予定を組んでおられるのでしょう、ついさきほど再度みえられました。

宅配便で届いたのはアマゾンで購入した本でした。先週土曜に注文し今朝到着です。早いですね。なかなか店を出ることができず、外出嫌いでもある私にとってアマゾンはとても便利です。本当は地元の書店で買うべきなのでしょうが…。
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届いた本は、サッポロビール創業者のひとりで薩摩藩出身の村橋久成の生涯を描いたという「夢のサムライ」(西村英樹さん著、北海道出版企画センター発行)と、幕命により木曽川治水工事の総奉行として事業を成し遂げた後、多くの犠牲者と多額の経費を使ったことの責任をとって切腹した薩摩藩の家老、平田靱負の生き方を書いた「孤愁の岸(上)(下)」(杉本苑子さん著、講談社文庫)です=左上写真。いずれも、同じ地に生まれた先人として以前から興味を持ちながらそのままにしていました。「孤愁の岸」はFさんのブログで知り、ぜひ読みたいと思っていました。
他人と比べ足らないことばかり嘆いたり、やたらと不安をあおったり、逆に無関心だったりする風潮にあって、どう生きるかをいまだに探しています。
排他的で中央指向、権威に弱く粘りがないという短所も多い薩摩人ではありますが、先人には偉人もいます。かの大西郷にしろ、死後に多額の借金を残していた清廉な人・大久保利通、過労死で亡くなる大警視・川路利良、バルチック艦隊を破った日本海海戦の連合艦隊司令長官・東郷平八郎…。先人の生き方からなにかを見付けたいと思います。

追記】=午後10時48分
閉店しました。当店の一週間の終わりです。今週もありがとうございました。
閉店作業で屋外に長袖シャツで出ると肌寒さを感じます。鹿児島市坂之上は午後10時半現在、13℃(屋外)です。外に置いていたコーヒーの木の鉢植えを店内に入れました。寒さに滅法弱いからです。

夜、数学を研究しておられるNさんから「サイエンス・カフェ」のご提案をいただきました。2年ほど前に開いたことがありました。私からは、3週間ぐらいの開催告知が必要ではないか、働いている人が来店しやすい曜日と時刻の検討が望ましい、との2点を申し上げました。テーマについてはNさんのご専門ですので、おまかせするとして、具体化したいと思います。
順次お知らせします。

午後8時過ぎに愛刀家Tさん、続いて古いものがお好きなIさんがご来店、しばし閉店後も歓談。先日報道された元寇の沈没船の話題から中国、朝鮮、北九州、南九州、南島の交易など話が広がりました。歴史のロマンです。Iさんによると、元寇の船は済州(チェジュ)島で造られたとか。

閉店後の掃除に移ります。あすの定休日は焙煎を予定しています。いつもの休日より早めに起きて、コーヒー豆の発送準備まで進めます。ゆっくりと読書を楽しむつもりでいましたが、なかなかそうはいきません。
Commented by 常連のNです at 2011-10-25 19:32 x
排他的で中央指向、権威に弱く粘りがないという短所も多い薩摩人

 言っては、失礼ですが、本当にそうですね。どうかしている、と思うことばかりです。主体性がない、考えることもよりも、権威にしがみつくことこそ生きる術が染みついていますね。行き着くところまで、行き着いて、ボロボロになるときまで、なかなか治らないでしょうね。
Commented by gayacoffee at 2011-10-25 23:00
常連のNさん、ありがとうございます。
藩の住民支配が特に強かったこと、徹底した武家社会で、それが戦前まで残ったことなどで、お上に逆らわない、頼る風土がありますね。その点が大阪や福岡など商人文化の栄えた自由な土地と違うところでしょうか。なにせ鹿児島はつい最近まで士族がどうのと言っていた土地柄ですからね。
一方で、記事に書いたように武士としてあるべき生き方を貫いた人々もいたわけで、短所は短所としながらも先人の長所は学びたいものと思っています。知っているようでまったく知らないでいる郷土人の筆頭が西郷さんです。なぜあれほどまで慕われ、いまも薩摩人の心に残っているのか。私の中にも、西郷さんと聞くと背筋を伸ばすところがあるのです。深く知りたいと思っています。
Commented by 常連のNです at 2011-10-26 06:35 x
私にとって、不思議なのは、武士なる階級、制度は、100年以上も前になくなっているのに、未だにそういう意識なりが残っているところです。私にとっては、鹿児島の明治以降の歴史というか、実態の方が興味があります。中村先生のご著書には、そのことの解明も意図されているようです。読んでいませんが。これほど、ある意味、近代化に失敗した、近代化できなかった地域はないのではないか、そんな思い、仮説を持っています。
Commented by gayacoffee at 2011-10-26 14:56
常連のNさん、ありがとうございます。
県外の方には同じビルの立ち並ぶ風景でありながら、鹿児島の人間と付き合っていておかしなことに気づかれるでしょう。私は学生時代を東京で過ごし開放感に驚きました。江戸の町も半数は武士が占めていたため、上下の規律なり物事の言い方などは鹿児島に近いところもある気がします。
鹿児島でいまだ封建時代の精神性が残っている理由は、明治後も政財官学の主要ポストを士族出身者が占めてきたことが大きいと思います。明治維新で多くの士族が上京しましたが、地元では実力者、指導者として裕福な士族が残ったのです。なにせ旧制中学、旧制高校、帝大というエリートコースを歩けるには相当な経済力が必要でした。鹿児島で地主の多くは士族=郷士でした。それも県下に100を越えて存在する麓と呼ばれる武家集落の中でも門閥の人たちです。同じ郷士でも小作をしたり職人仕事をして暮らす人たちもいました。教育を受けられるか、否かは戦後まで影響しました。その流れがいまでも残っているのでしょう。記憶では鹿児島県知事は現職の伊藤さん含めみな士族出身です。
by gayacoffee | 2011-10-25 13:24 | 焙煎人日記 | Comments(4)

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