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かつての大伽藍も夢の跡…皇徳寺跡

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鹿児島市の大型台地のひとつに「皇徳寺ニュータウン」があります。その名のゆらいとなったのが、かつて同団地の台地の麓にあった皇徳寺です。本山は能登(石川県)の総持寺で曹洞宗。正平21年(1366年)に、後醍醐天皇の皇子、征西宮懐良親王を弔うため、南朝の豪族であった谷山郡司谷山五郎隆信の子、忠高が創建、開山は無外円照和尚とされます。

南北朝期、谷山隆信は、北朝方であった守護島津氏と戦い、懐良親王を薩摩に迎え、御所原に親王の御所を建てました。親王は御所近くに皇立寺を建てます。北朝との戦いは一進一退を繰り返し、その後親王は肥後(熊本)の菊池氏のもとへと移り、弘和3年(1383年)に福岡・矢部で亡くなります。隆信の子、忠高は親王の位はいを皇立寺にまつりました。
親王をしのんで谷山を訪れた無外円照和尚を招いた忠高は、新たに山田に永谷山皇徳寺を建立しました。

江戸期には島津本家の菩提寺・福昌寺の末寺となり、寺領100石。七堂伽藍の備わった寺院として大いに栄えたとされ、江戸末期に書かれた「三国名勝図会」にも伽藍の姿が載っています。
しかし、明治初年の廃仏毀釈で徹底的に破壊され、現在寺跡には、仁王像の一部、無外円照和尚・俄山禅師の供養塔、島津義弘の子久保に殉死した山本親匡の石憧(とう)「六地蔵塔」などが山影に残るのみ。寺院の跡はほとんどが畑地となり、かつての盛隆をしのぶことすらできません。
地名に、「杉馬場」「下馬先」「寺屋敷」「寺門前」などを残しているそうです。
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by gayacoffee | 2012-02-27 21:28 | 谷山散策 | Comments(0)

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