梅雨明けぬ日、幕末偉人のまち・加治屋町まで歩く
2012年 07月 21日
坂之上からJR指宿枕崎線で鹿児島中央駅へ出て往復しただけですが、梅雨の明けきれない夏の日の、幕末の偉人を多く輩出した加治屋町をちょっとだけ写真でお伝えします。
◆鹿児島中央駅へ向かうディーゼル列車の天井。扇風機と増設された冷房がある懐かしい車両。車内は、夏休みに入ったせいか子供連れの家族がちらほら
◆鹿児島中央駅東口の正面に建つ、南国グループの新しいビル。左の建物の上は西鉄系のホテル
◆夏の祭り「おぎおんさあ」(祇園祭)を前に、神輿が駅ビルの広場でお披露目中。個人的に「おぎおんさあ」にさほど興味なし。なぜなら元々鹿児島の“まちんし”(町の衆)の祭りで、なじみがない。神輿を見ても私は熱く燃えることがない。刀を腰に差すと静かに燃える。みんなが「おぎおんさあ」「おはら祭り」で燃えるわけではない
◆鹿児島中央駅前から伸びる大通り「パース通り」にはクスノキの並木があり、涼しげ。残念ながら、というか都市づくりの基本的違いから、仙台市の青葉通りとは大分異なる。仙台の並木は人が歩く道だった。鹿児島は車優先
◆「パース通り」沿いにあった鹿児島市の「観光交流センター」。だれがどうやってここで交流するのか分からない場所にある。観光地をぐるぐる巡回するバス「シティービュー」の基地のようだ。観光客の姿は見えない
◆「観光交流センター」の上はレストランになっていた。天気のせいか、お客さんの姿が見えない。甲突川沿いにあるので、景色はよさそう
◆「観光交流センター」の横から対岸へ渡る歩行者のための木造の橋「南洲橋」に、降り続く桜島の灰が大雨でも流れず残っている。対岸に「維新ふるさと館」がある。ざっくりと幕末の鹿児島を知るのに役立つ観光施設
◆「南洲橋」から東を向くと、甲突川に桜島が映る(ことがある)。晴れた日は絶景。なにも説明が要らない景色。蛇足ながら「南洲」は西郷どんの号
◆その「南洲橋」から約30、40mのところに西郷どんの誕生地がある。静かな公園になっている。時間があればここでしばし過ごしたい。なお坂本龍馬が寺田屋で襲われて大けがの療養で鹿児島を訪れた際に宿泊した西郷屋敷はここではなく、対岸に跡地がある。その後、西郷どんは武町に転居
◆西郷・大久保の生まれ育った加治屋町から多くの逸材が出た。当時の屋敷は残っていないが、偉人の生誕地に石碑が建てられている。下写真は東郷平八郎の生誕地。県立中央高校(旧制一高女跡)の敷地内
◆偉人のまち・加治屋町で見付けたシュールな入口を持つマンション(?)
◆甲突川河畔の公園に世界地図があった。見ると「ジョン万次郎漂流」とか、「東インド航路」などの文字と線が描かれている。3月末ごろ桜で彩られる公園