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偉人ゴンザ石像が壊さる。鹿児島の恥! 犯人を石像前にさらすべし

薩摩N
1月31日夕方、地元民放・南日本放送(MBC)のホームページをみると、いちき串木野市にあるゴンザの石像が壊されているのが見付かり、警察では何者かが石像を壊したとみて器物損壊の疑いで調べているそうです。驚きと怒りがわいてきます。
ゴンザと聞いてピンとこない者は鹿児島人にあらず。それほどに有名な人です。天文館では、在野の研究家(呉服店主)が働きかけて「ゴンザ通り」と名付けられた通りがあるほどです。

1730年ごろのことですから江戸時代半ばです。ゴンザは漁師か船乗りで、漂流しロシアに漂着。乗っていたソウザという人と2人のみ助かります。ゴンザ11歳だったそうです。シベリアに滞在した後、首都ペテルブルグへ送られ、ときの女帝アンナ・ヨアノヴナに謁見します。井上靖さん著「おろしや国酔夢譚」で有名になった同じ漂流者(?)大黒屋光太夫が女帝エカテリーナ2世に拝謁する58年前です。
ゴンザの偉業は、世界で初めて露和辞典を編纂したとされることです。薩摩の青年ゆえ、ロシア語に対する言葉は薩摩弁だそうです。鹿児島県立図書館の正門に記念するモニュメントがあります。

ゴンザは女帝アンナに謁見した翌年の1734年10月31日、ロシア正教の洗礼を受け、「ダミアン・ポモルツェフ」というロシア風の洗礼名を授けられたそうです。すでに16歳になっていました。
洗礼を受けたということは、キリシタンを禁じる母国に戻れないということ。つまり戻らない決心を固めた、固めざるをえなかったということでしょう。
2年後、ロシア漂着以来一緒だったソウザが42歳で亡くなります。
そのソウザの葬儀からわずか11日後に、世界初の露和辞典「新スラブ・日本語辞典」の編纂に取り掛かったといわれます。ゴンザが訳した単語は約1万2000語に及びます。翻訳の仕事に没頭したのは孤独との闘いだったのでしょうか。
1739年、日本の年号では元文4年。首都ペテルブルクを記録的大寒波が襲い、多くの市民が亡くなります。その中に、21歳になっていたゴンザもいました。露和辞典を完成させて…。わずか3年ほどの間に、前述の辞典など日本語に関する書籍6冊を完成させたといわれます。
母国に帰れぬ異郷での孤独の中、懸命に運命を受け入れたゴンザです。

その薩摩の偉人たるゴンザ像を壊すとは、まったくもって不届きせんばん。
警察の調べによると、ハンマーのような物で叩き壊されたように鼻が大きく欠け、両方の耳がそぎ落とされ、頭のまげの部分もほぼすべて壊されて無くなっているそうではありませんか。まったくもって許しがたき蛮行です。
下手人がすみやかに逮捕されんことを願います。
私の個人的感情では、下手人を石像と同じ姿にすべし、と主張したいところですが、日本は法治国家、司法の裁きにゆだねましょう。ただし、刑の確定に加え、薩摩の恥として石像前に下手人をさらすべし!
 
ちなみに、ゴンザはいちき串木野市羽島の出身だった可能性が高いところから、羽島の神社に地元出身者が寄付し、おととしの10月に石像が建立された、とMBCが伝えています。

※文頭に「★薩摩N」が記された文は、「薩摩ナショナリズム」系つぶやきという印です。
by gayacoffee | 2013-01-31 20:37 | ガヤマスのつぶやき | Comments(0)

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