ことし最後の日曜。伯母の年忌で和田名の妙行寺へ
2013年 12月 29日
2013年最後の日曜。冷たい一日です。午後7時半現在、鹿児島市は4・6℃です。
幸い積雪のなかった鹿児島市でしたが、けさは1・9℃まで気温が下がったようです(アメダス)。最高気温も9・1℃。晴れていたのでまだ日の温もりがありました。
夜になって静かな店内に戻りました。夕方まで常連のお客様がぽつぽつとご来店くださり、コーヒー豆を購入されたり店内で飲食されたり。
「ことしはきょうが最後(の来店)だと思います。来年もよろしくお願いします」
お客様にありがたいお言葉をいただきました。
コーヒー豆をあす朝も焙煎します。
伯母の一年忌のため、和田名にある妙行寺に行ってきました(上写真)。境内にある鐘は大みそか、年越しに煩悩を消すべく撞かれます(右上写真)。
同寺が経営する谷山幼稚園に私は通いました。いまは鉄筋造の園舎ですが、当時は木造の平屋でした。和田川・木下川の河口に近く、まだ2号用地の埋め立ても進んでいなかったため、さらに海が近く、潮の香りがしていました。園舎の脇に積まれた石垣にもカニがいっぱいいて、石垣の間から出たと思うとすぐに引っ込んだりしていました。
本堂も鉄筋造に変わりましたが、和田名の旧谷山街道から寺に渡る小さな石橋は40数年前のままです(左上写真)。すぐ近くにあった2連アーチの石橋・潮見橋が治水を理由に完全撤去され、いまでは妙行寺門前の小さな橋が鹿児島市内に残る貴重な石橋となっています。まさか、鹿児島市、あるいは県はこの橋まで壊すことはない、と思いますが…。う~ん、いやそう断言できないところが、鹿児島の鹿児島たるところ。
さて、境内の脇に興味深いお地蔵様がおられます(右写真)。高さ1m強。お顔がつぶされています。はじめは妙行寺関連のお地蔵様かと思いましたが、浄土真宗の寺院が鹿児島に建ち始めたのは明治以降のこと。江戸最末期から明治初年の廃仏毀釈で一旦、県内にあった寺院(多くが禅宗)は徹底的に破壊されました。県内で残ったのは1寺院のみという有様。島津家の菩提寺・福昌寺すら跡形もなく壊されました。そりゃあ、ひどいものです。国家神道への道を明治政府は歩くものの、その後仏教、キリスト教なども布教が許されます。浄土真宗はその直後、鹿児島に正式に入って民衆の間で急速に広まります。江戸期にかくれ念仏信者が相当数いた、島津一門にもいたともいわれるので、広まる素地はあったのでしょう。
お地蔵様の話に戻ると、もし妙行寺関連のものであればお顔がつぶされているはずはありません。お地蔵様は江戸期から伝わるものであり、顔は廃仏毀釈の名残ではないか、と私は推察するのです。そのうち、お寺の人にそこのところを聞いてみたいと思います。
ちなみに、坂之上・俗にいう地蔵坂を上ったところに建つお地蔵様とよく似たお姿だなあと感じました。
開店前に2種類のコーヒー豆を焼きました。
●グアテマラSHB(深煎り)
●ブラジルNo.2(深煎り)
それにしても、鹿児島での廃仏毀釈の話は、滅茶苦茶ですね。
鹿児島に浄土真宗が入ってきたんでしょうが、親鸞の思想と鹿児島
的なものとは、全く相いれなかったと思います。