昭和30年代初めの鹿児島市和田名・坂之上の写真
2017年 08月 16日
▼坂之上の台地から父が撮影した和田名、遠くに谷山の中心地。いま慈眼寺町などすっかり住宅地や商店で埋まったあたりは広々とした田んぼだった。写真右端に和田小学校の古い校舎が少し見えている。田んぼの真ん中にぽつんとあるのが「すずめ塚」(すすめ塚=当ブログ2013年12月25日付け・カテゴリ「谷山散策」で紹介)。かなたで桜島が煙を吐いている
▼「すずめ塚」のアップ。現在は宅地の中、祠が残されている。塚のすぐ上に見える道路が国道225号で、現在、「サンキュー和田店」があるカーブ付近
▼坂之上西の写真。右にある祠が地元で“デメジンサア”と呼んでいたところ。実家のすぐ近くにあった。南方神社の末社のひとつだった(「谷山市誌」から)。かつては結構広い境内があった、と父の話。明治期の神社合祀で“神社”でなくなったと推測される。いまはT氏の敷地に移され祭られている
名著とされる「失敗の本質」にインパール作戦の問題点も詳細に書かれていました。同書は組織論から旧日本軍の失敗を分析しています。合理的に動くはずの組織、中でも軍隊は「勝つ」という目標にために総力を結集するその頂点にあるはずながら、意外というか、逆にありがちなというか、情緒、情実などが重大な局面を左右するのです。思い込みとかそうしたことも判断を鈍らせますね。
お薦めの1冊です。