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なぜご飯メニューを止めたのか…

「ご飯はやっていないのですか?」「もうランチはないの?」

4月まで「苦茶亭ガヤコーヒー」で日替わりランチを長らくご愛顧いただいた皆様には大変、心苦しく思っております。

4月21日、新たに「ガヤコーヒー」として移転オープンしたのを機に、ご飯(お米)メニューを止めました。「おいしかったのに…」と言われるたびに申し訳なく思っています。

なぜご飯メニューを止めたのか、それは私のせいです。くわしく言うと、私が生まれ育った環境が大きく影響しています。以下の文章は誇張でもなく、詭弁でもありません。ちょっと言い訳のようですが。

私は昭和35年、鹿児島市(当時谷山市)の南部、坂之上で生まれました。今ではすっかり住宅地になりましたが、そのころの坂之上は農村でした。貧乏ではなかったにせよ、決して裕福とは言えない、当時としてはごく普通の家庭でした。小学生のころまで明治生まれの祖父が健在でしたので、戦前、いや江戸時代の価値観も残る中で育ちました。特に、百何十年ぶりに男の長子が誕生したということで、私は大切にしかも厳しく育てられました。

なかでも食事。
鹿児島は貧乏県です。白米が昔から食卓の上っていたのは中級以上の武士か商人の家でしょう。多くはお米にカライモ(サツマイモ)を混ぜたご飯だったり、カライモだけだったり。そのためか、鹿児島では「男は黙って出されたものを食べろ」というしつけがありました。
わが家でも、好き嫌いがあると厳しく叱られました。おいしいとか、まずいなどとは言えません。少食で好き嫌いのある子供だった私は、口に刺身をたびたび押し込まれました。食事は楽しむものではなく、義務でした。

長じて、大学生活を県外で送ることになると、少食が一転、なんでも食べるようになりました。親からの仕送りもアルバイト代もあっという間に無計画に使ってしまうため、ご飯にマヨネーズ、ご飯にしょうゆはごく当たり前。食パン一切れで一日を過ごすこともたびたびでした。いつもおなかをすかせていました。おなかいっぱい食べられるだけで幸せでした。
ただ、300円あると食費よりも喫茶店代に使っていました。空腹を我慢してコーヒーを楽しんでいました。

社会人になり、編集記者の暮らしが始まると、食事は取れるときに取るものとなりました。取る時間がなければ取らず、ご飯を食べることすら忘れることも日常でした。そしてドカ食いの早食い。今でも食事は3分で終えてしまいます。いつでも簡単におなかを満たせるよう職場にインスタントラーメンを段ボールで買いだめしていました。
結婚しても不規則な食生活は変わらず、妻はいつでも私が食事を取れるようラップをかけて置いてくれていました。そんな暮らしが、昨年まで続きました。

私にとってご飯=お米は楽しむものではなく、おいしいとか、まずいとか言うべきものでもなく、ただおなかを満たすものでした。
一緒に食事に行って、「まずいな、この店」などと言う男がいたら軽蔑します。もう2度とともに食事をすることはないでしょう。アフリカの難民キャンプで飢えて死んでいく子供たちの映像が頭をよぎり、「こうしておなかいっぱいご飯を食べられるだけでも幸せだろう」と思うのです。おいしいとか、まずいとか口にすることに罪悪感すら抱いてしまいます。

こんな私ですから、店を始めてもお客様に出せるご飯メニューが作れるわけがありません。
「男は出されたものを黙って食べるべし」です。

では、新しい店で始めたサンドイッチなどパンメニューやケーキなどはどうなのか? これらは私が子供のころ脳みそに刷り込まれた「食事」の範疇に入っていません。「黙って食べる」ものの対象外なのです。「男子たるもの…」の呪縛から解き放たれた、楽しめる食べ物です。だから、素直に好き嫌いを言えるし、おいしさを追求したくもなります。

コーヒーはその最たるものです。なにせこの世になくても人間生きていける飲み物です。嗜好品です。好き嫌い、おいしい、まずいを言わずして何を語るか、です。

ご飯メニューを私は作れません。作っている自分が「楽しい」と思えるものでなければおいしさを追求できるものではないのです。
by gayacoffee | 2008-05-16 21:13 | ガヤマスのつぶやき | Comments(0)

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