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「傷むぎりぎりの食べ物」で磨く動物的能力

「傷むぎりぎりの食べ物」。もちろん、私のお店でこういうものを出しているわけではありません。誤解のないように。

私が個人的に昔から心がけていることのひとつです。

3、4日ほど経ったようなご飯やおかず、開封して時間が経過したペットボトルの水…こういったものを、私はわざと食べたり飲んだりしてみることがあります。

「もったいない」という、ちょっと貧乏性からくる理由もひとつです。
子供のころの食事時のしつけが厳しかったことは前にブログで書きましたが、「米一粒まで残さず食べろ」「農家の人が作ったものを粗末にするな」という、日本の伝統がしっかり私には植えつけられて、それがあまりに過ぎて、腐る寸前のものまで食べてしまいます。サラリーマン時代は、子供の残した食べ物まで、夜中帰宅してから食べてしまい、「肥満」になりました。

もうひとつの理由。これは一種の「修行」です。
生き物として、自分がどこまで時間が経過した食べ物、飲み物を受け付けられるか、挑戦しているのです。
昔読んだ本で、上杉謙信だったか、戦国の武将が日ごろから泥水を飲む訓練をして、戦(いくさ)でも体調を崩さないような体づくりをしていた、とありました。戦場では真水が飲めないからです。これには驚くと同時に、ひとときの平時にあって有事を忘れない精神に「美しさ」をみました。泥水まではさすがに厳しいので、私は時間が経過した食べ物、飲み物で訓練をしているわけです。

「こんな平和な日本で戦? 時代錯誤な」と笑う人もいるでしょう。笑う人は笑えばいいのです。
例えば災害。2週間前の四川大地震にしろ、新潟の地震にしろ、阪神淡路大震災にしろ、災害は突然にやってきます。命をつなぐのは、まず水、食料です。救援物資が届くまでの間、災害が夏場であれば、電気が停まった冷蔵庫の中の食料はすぐに傷み始めるでしょう。
そのとき、日ごろから傷むぎりぎりの食べ物、飲み物を口にして耐性をつけておけば、少々のことで体調を崩すことはなくなる、と思うのです。

そして何より重要なのが、傷んだものにどこまで自分の体が耐性があるか、を予め知っておくことです。「これは食べられる」「これは下痢しそうだ」と、瞬時に判断できる、生き物としての能力をつけることです。
ですから、耐性をつける「修行」とはいっても、むやみに腐ったものを食べる訓練ではありません。
ライオンや犬、猿といった動物がみな持っている、これは食べられる、これは食べられないという判断能力を研ぎ澄ますのです。草食動物も毒草を食べません。「おいしい」とか「まずい」とかの前に、「食えるものなのか」「飲めるものなのか」「自分なら大丈夫だ」「さすがにこれは危険だ」という動物的な能力を高める訓練なのです。

まず、視覚。
カビが生えていないかなどチェックします。カビにもいろいろあり、その部分だけ取り除けば他は食べられるもの、すべてダメなもの、と。
次に嗅覚です。
いまのような季節になると、サラダなどは常温だとすぐに傷んできます。それを察知するのは臭いです。「あれ、ちょっと変だぞ」「うん、ぎりぎりOKだ」。その「線」=限界を知るのです。
そして味覚。
「ん? まあ大丈夫だろう」と、臭いでクリアしたものを、口に入れますが、その場合もすぐに吐き出せるような心構えが必要です。「あ、これはいけない」と思ったらすぐに吐き出します。ここでも、自分の体が受け付ける「線」を知り、できれば耐性を高められれば、なお結構です。

ここで不思議なのが、例の毒ギョウザ事件です。被害に遭われた方々は大変災難だったと思いますが、口に含んで、変な苦さ、酸っぱさなどを感じながらなぜ飲み込んだのか、私には理解できません。私なら、変だと思ったら吐き出すからです。口に違和感が残ったら水でうがいまでするでしょう。
日本で流通する食べ物は「安心・安全」という思い込みがあったからでしょうか。ましてやコープ商品…。
でも、これはあまりに無防備ではないでしょうか。世の中に「絶対」はありません。身を守るのは自分です。厚生労働省でもコープでもありません。

確かに、添加物から製造日・賞味期限、原産地、アレルギー物質の有無など店頭にならんでいる食物の表示基準が強化され、飲食店でも、当店もそうですが、とにかく食中毒などを出さないよう、清潔で新鮮な食材と環境整備に努めています。また、そうあるべきでしょう。
これ自体は、文明の発展と言えます。

一方で、欠落または退化していっているのが、個々人の生き物として「自分が食べても大丈夫か、否か」の判断能力です。
日本は清潔で安全で安心さを求め続けます。それはそれでいいでしょう。
でも、最終的には自分の判断です。買ったときは新鮮でも冷蔵庫に入れて数日経つと細菌はゆっくりと繁殖しているのです。

私は、その菌に打ち勝つ体づくりと同時に、「これは危ない」と判断できる能力を高めるため、ときどき、例えば、開封したペットボトルに水を入れ常温で1週間以上置いてから飲んでみたりもします。ときには2週間置いたもの、3週間置いたものでも訓練=実験します。
口をつける前に、ボトルの口に鼻を寄せて臭いを嗅ぎ、まず水を少しだけ口に含んで、「OK」ならグイッといきますし、「これはいけない」と思えば捨てて、自分の体の限界を知ります。

視覚・嗅覚・味覚は、天下泰平の現代にあっても、「かわいい~」とか「おいし~い」とか「いい匂い~」とかの方向にばかり発達させず、生き物としての原始的な能力の部分も鍛えるべき、と私は思っています。
by gayacoffee | 2008-05-27 15:40 | ガヤマスのつぶやき | Comments(0)

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