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店休日。ようやく居合道場へ。明朝ピッキング!

店休日の水曜。やはり梅雨ですね、昼間は晴れ間が見えたと思うとどんよりとした曇り空へ、そしてまた青空へ。湿度が高く、ケーキの陳列棚のガラスが曇っていました。ただ、窓からの風はひんやりとしています。

8時30分に起床。

前夜は、「明日は休みだ」と意気込んで、居合の練習を1時間ほど行った後、コーヒーを点て、店のテーブルにレイモンド・チャンドラーの名作「さらば愛しき女よ」と灰皿を置き、午前2時まで読書。久しぶりの心地よいひとときでした。

チャンドラーにせよ、ウイリアム・アイリッシュにしろ、この時代のアメリカのハードボイルド・ミステリーには驚くものがあります。巧妙なプロットもそうですが、文体というか表現力がずばぬけています。もちろん原書で読めるわけもないので、訳者の巧みさもあるのでしょうが、文章を志す人は、必読本です。後日、この話は書きます。
チャンドラーの「フィリップ・マーロウ」シリーズは、これまで3回ほど読んでいます。ただ今回は、処女作「大いなる眠り」から順に改めて読み返そうと思い立ちました。で、2冊目です。

翌朝、つまり今朝は、寝ぼけた頭で「たまにはゆっくり朝寝坊でも」と思ったりもしましたが、休日は短か過ぎるので、「えいっ」と起き、いつもよりボリュームを上げた4ビートのジャズを流しながら、これまたいつもよりゆっくりと店の掃除とブログの更新をぼちぼち。

水曜はなぜか、コーヒー豆を買いに来られるお客様が少なくありません。
移転と同時に店休日を変えてしまったためご迷惑をおかけしています。申し訳ありません。
休日も午前中は、店の掃除をしたりしています。その際、豆の販売はできますので、お気軽に声をかけてください。ただ焙煎中は対応できません。

昼すぎ、本を読みながらちょっと横になって、午後5時に居合道場へ。3週ぶりです。汗だくだくの2時間でした。

先生の教えで心に残った言葉。
「前に出ようとするなら後ろの力が肝心」
前にいる敵を踏み込んで斬り下ろす場合、前へ進もうとするとかえって力が入らず、前かがみになったり、前に流れてしまいます。後ろ足の踏ん張りと、腰を前に進めること、つまり「後ろの力」によって力強く踏み込んで敵を倒せるのです。
人生哲学のようです。

今日はたくさんの教えを受けました。
抜き付けの刀の角度、敵を見る「目付け」のあるべき姿、正確な「半身」のとり方、「月影」での相手の籠手(こて)へ斬り付ける位置…。どれも一度ならずとも先生に教わっていることですが、いつの間にか我流になっています。特に、2週も休むと、自宅で練習している間に自己流が拡大していきます。別の面から考えると、自宅でも練習を続けているからこそ、最初の教えで耳に入ってこなかったことに、今気づくようになったのかもしれません。
いずれにせよ、こつこつ、教えに従って稽古、稽古です。

居合道に限りませんが、何百年もの時を経て今に伝わる技には、合理的な理由があります。日常の立ち居振る舞いもしかり。
私たちは、「新しいものは良い」という価値を、アメリカのプロパガンダ(PR)を背景にマスメディアからシャワーのように浴び続けています。
日本的なもの、古くからの伝統、しきたりといったものは、「現代的でない」「時代にそぐわない」とバッサリ。若者だけではありません。聡明であるはずの(なければならないはずの)経営者の方々すら、国民性も文化も歴史や美意識すら異なるアメリカ型経営を、まるでアホな素人ミュージシャンがコード進行だけをパクるかのように自社の経営に取り入れ、「実力主義だ」「成果主義だ」と吠えてしまいます。そう言えば、最近聞かなくなりましたね、「成果主義」。

古さの中に新しい発見があるものです。
先人は、この時代だけで生きている私たちよりも、はるかに優れています。
なぜか。長い歴史があるからです。
日本、および大きく影響を与えた中国、韓国などのアジアの長い、長い歴史を合わせると、地層のように先人の思想・知識・知恵が幾重にも積み重なって、私たちがいま暮らす現代に伝わっています。ただ、今に生きる私たちが、それに気づかないだけです。見向きしないだけです。

余談ついでに言うと、小学校では、低学年で「四書五経」の素読と「そろばん」を教えるべきです。
頭が柔らかく、素直な小学低学年のうちに、意味は分からなくとも、音楽を覚えるように「四書五経」と「そろばん」を体で覚えるのです。いつか大人になっていく過程で、その言葉の意味が教養としてにじみ出るはずです。英語なんてまだ要りません。日本語すらまともじゃないのに、なぜ外国の言葉を教えるのでしょうか、不思議でなりません。
日の丸・君が代を強制している文科省が、どうして小学校で英語なのか、この矛盾。文部科学省の役人は、もしかして頭が悪い? 支離滅裂? と思われてしまいますよ。
日本人としてのアイデンティティーなき者が国際社会で通用するはずがありません。
明治期の日本人に、外国人に広く尊敬された偉人が多かったのは、彼らが江戸時代の生まれ育ちだったからです。彼らは、中国古典に通じ、漢文の素養があり、また武芸の心得もありました。その基本が「四書五経」の素読です。
もっとも、受験のためのお勉強をこれからも国民が求めるなら、必要ないでしょうが。そうなると、晴れて日本は、アメリカ合衆国の「植民地」となれるのです。


大分長くなりました。「焙煎日記」が「ガヤマスのつぶやき」になってしまいました。
休日で、エネルギーが充電されたせいでしょう。

居合道場から帰ってきて、午後9時前に夕食。「これからピッキング、水洗いをやるかな」とも思いましたが、早めに寝て、明朝早めにスタートを切ります。
ご注文のあったバザー用のコーヒー豆を作るため、明日と明後日、多めの焙煎予定です。
おやすみなさい。
by gayacoffee | 2008-06-04 23:34 | 焙煎人日記 | Comments(0)

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