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Tくんと長話で、焙煎は明朝へ…

7月11日中になんとかブログの更新ができそうです。
2月にこのブログをスタートして、いままで1日だけ休んでしまいました。
理由は、元同僚のTくんが来て夜中まで話し込んでしまったため。
今日、そのTくんが夕方来店し、またもや、ついさきほどまで長い長い話をしてしまい、あやうくブログ更新ができなくなるところでした。ようやくセーフ。

ただ、4種類の豆の焙煎ができず、明朝早く起きてやることにします。

Tくんとは年がちょうど一回り違います。同じネズミ年生まれ。
長話は、いつものように、まずお互いの仕事の様子からTくんの結婚観、大河ドラマ「篤姫」がなかなかいいという話、サルコジは二度と日本に来るなとか、話題はめぐり、そして最近スポーツ選手が感情むきだしに見せる態度についての批判に移りました。

Tくん「サッカー選手なんかがゴールを決めて、両手を広げて踊ったりするのを見ると、なんだこいつらは、と思いますよ」
「気持ち悪いね。サッカーだけじゃなく、バレーボールにしろ野球にしろ、最近スポーツ選手が演技くさくて仕方がない。柔道なんかでも試合で勝ったりしてガッツポーズをとるよね」
Tくん「勝ち負けばかり気にしてますよ。ワールドカップの結果なんか、私は全く興味ないですね」
「ま、もともと私はサッカーに興味がないけど、日本人がラテン系のまねをするのがみっともないね。髪の毛を茶髪に染めたり。グラウンドを走り回ってシャツを脱いだり、男同士で抱き合ってみたり。高校野球の泣き笑いは、もう後がないという必死さの中だけに、その姿も好ましく見えるけど、プロ野球は興ざめだ。馬鹿にあおる中継アナウンサーの声も耳ざわりだし。求道者イチローとフロンティア野茂投手以外興味がなくなってきた」
Tくん「なんで茶髪なんですかね。男のくせに、お前は日本人か!と言いたいですよ」
「スポーツはいま勝敗がすべてになってしまっている気がする。背景には資金を出すスポンサー、すぐに結果だけで評価したがるファンという名の『大衆』、それに迎合するマスコミの存在があるだろう。ある面、スポーツ選手にとって不幸で窮屈な時代かもしれない。それにしてもスポーツ選手自身が『結果を出したい』とか試合前に豪語したがる。そこが武道との違いなんじゃないか」
Tくん「おっ、居合の世界ですか?」
「武道の勝ち負けは過程にすぎない。本義は自分との闘いだし、プロセスにこそ価値がある。剣道で、勝った方がばんざいすることはない。弓道で的に当たったからと腕を天に向けて突き上げることもない。そのたびそのたびの勝ち負けで一喜一憂しないよ。今日は勝っても明日は負けるかもしれないからね。自分の技を磨き続けるだけだ。だから軽々しくガッツポーズなんかしないし、できない。礼で始まり礼で終わる。勝ってうれしくない人はいないだろうけど、うぬぼれそうになる自分の未熟さを恥じ戒めるのが武道の世界だと思う。世界柔道はその点、もう武道じゃないね。礼が終わった途端にガッツポーズを見せたり、天井を見上げて泣いたりするからね。審判に抗議したりもする。負けて青畳の上で男泣き、なんて美しくない。相撲は国技という名の『興行』または『神事』だけど、やはり勝った者が負けた者と対等に礼で終わるよね。かつては人前で感情をあらわにすることは恥とされた。このごろは感情をはっきり出す人間が評価される時代だ。人間味があるとか、ね。テレビ的なんだろう。確かに感情を持つのも人間だけど、それを自制し律しようと努めるのも人間らしい姿なんだ」
Tくん「最近のテレビは本当に最低ですね。どうしようもない。チャンネル変えても吉本興業とかのお笑い芸人、同じメンバーばかり出て内輪話でバカ笑い。くだらない話で、またそれが視聴率が取れるらしい。節操のない企業がスポンサーにつくし。あの若手芸人とかのは芸じゃないですよ。使い捨ての一発芸」
「吉本新喜劇は芸だね」
Tくん「あ、あれはいいですね。芸として磨かれているのが伝わります。そして笑える」
「少し前は、モノの大量消費時代だったけど、今は情報の大量消費時代だね。絵になって、今ウケやすいものを作っては出し、すぐに取り換えて出していく。消費者が求めたがるから、って理由でね。別に私は求めないけど、マスコミやどんどん消費させたい企業、考えない国民がほしい政治家や財界人らがそれを進めているんじゃないかな」
Tくん「私は『必殺仕置人』『暴れん坊将軍』『篤姫』が観れれば十分」
「日本で、そういうのを裏で画策している人物なんか、いるんじゃないか。絶対にマスコミにもインターネットの検索にもひっかからない、『先生』と呼ばれるような、さ」
Tくん「松本清張ですね」
「ま、自分にはそんなこと、どうでもいいけど」
Tくん「私は北京オリンピックも興味ないですね。どこが勝とうが、どうでもいいですね。私にとって、日本選手が勝ったからといって何も関係ない」
「私も興味ないね。『人間万事塞翁が馬』で、そのときの勝利が必ずしもその人の人生で良いこととは限らないし、逆に負けることが悪いこととも思わない。その競技を通して学ぶものが大切なんだろう。勝敗の結果だけをあれこれ言うスポーツ、マスコミの世界には興味を失っている」

話は、音楽に及びました。

Tくん「このごろカラオケに行きますか? 私は若い人たちの音楽がさっぱり分かりませんよ。一緒に行っても全然合わないからおもしろくないんです」
「体調を崩してからカラオケは行っていないね。サラリーマンのころ会社の若い人たちとカラオケに行っても、私は自分の世界だった。若い連中が『コブクロ』で盛り上がっていようが、自分は『岬めぐり』とか『俺たちの旅』とか『いちご白書をもう一度』とか、70年代から80年代初めまでのフォークなど、ね。古いところでは『星影のワルツ』も歌うね。私の音楽はサザンの『栞のテーマ』あたりで止まっているからね。あ、尾崎豊の『シェリー』もいい。自分の苦しかった時期と重なっているからかな」
Tくん「最近の若い人の歌を聞いていても歌詞が全く頭に入らないんですよ。横文字がやたら出てきたりして、理解できない。ああいう歌をよく歌えるなあ、と感心してしまいますよ。オヤジなんですかね、自分は」
「私も最近の曲は歌詞が頭に入らないね。頭の上ですーっと流れていく感じかな。竹内まりやぐらいかな、新曲で心にしみこむのは。ほかは心に響いてこないね。サザンももういい。ジャズ聞いてりゃ、それで十分。フォークなんか自分の青春時代と重なるからか、歌詞から情景が浮かんでくるよね。演歌もいい曲はいいね。近ごろ、聞くたびにいいな、と思うのが美空ひばりの『川の流れのように』だね。聞けば聞くほどいい歌だよ」
Tくん「いいですね、『川の流れのように』は。パチンコ台にもありましたけど。『愛燦々』とかも。演歌はいいですよね。『津軽海峡冬景色』なんて最高ですね。
Tくん「40にもなって若い連中の曲ばっかり歌っているオヤジがいますが、どう思いますか?」
「ま、いいんじゃない。ただその人物と私の人生がこれから先、交差することはないだろうけど。私には関係ないね」
Tくん「そんなの関係ねえ、って(笑)」
「…(冷笑)」
Tくん「あ、すいません。もう古いですね。私の友人に演歌大嫌いというやつがいるんですけど、吉田拓郎の『襟裳岬』はいいけど、森進一のは嫌い、と言うんですよ。変ですよね」
「そりゃあ、おかしい。いい歌はいいよ。拓郎も森進一もどっちもいいよ」
Tくん「演歌が好きなやつ、と言われたくないんじゃないか、と思うんですよ。それにしても最近は世代を超える歌がないですね。若い人は若い人だけだし、演歌のヒット曲はないし」
「阿久悠がテレビで言っていたけど、大衆の歌がなくなったのは『ウオークマン』の登場以降だ、と。かつてはラジオでもテレビでも家族みんなで観聞きしていた。でも『ウオークマン』で、音楽が個々人のものになり、子どもから年寄りまで一緒に歌える歌がなくなった、と」
Tくん「それはそうですね」
「で、お金をたくさん使う層は若い世代だからというんで、今若い人向けばかりの音楽が出てくる」
Tくん「年寄りの聞く演歌にはお金をかけないから、ますますヒット曲が出ない…」
「そう。悪循環だ」
Tくん「若い人は飽きやすいし、新しいものをすぐ求めるので、音楽も使い捨てみたいですよね」
「その中から何年も歌い継がれる曲が残るかもしれないし、残らないかもしれない」
Tくん「いい曲は、演歌であろうがフォークであろうが歌謡曲であろうが、残るということでしょうね」
「『与作』なんか、すごい曲だよね。あんな曲は歌えない。演歌がどうのというレベルを超越している。北島三郎という歌手のすごさをつくづく感じるよね」
by gayacoffee | 2008-07-11 23:57 | 焙煎人日記 | Comments(0)

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