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またも「たばこの害」論。読売1面肩に大きく

「たばこには発がん性物質が含まれている」
愛煙家の私も十分それは承知しています。たびたびこのブログで述べてきたように、分かっていながら吸っているのです。
そして、副流煙がたばこを吸わない人へ影響を及ぼすとの結果が科学者の研究で出ているのを踏まえ、多くの節度ある愛煙家が喫煙できる場所でひっそりと吸うように、私も努力しています。

それでも、先進国、特に長寿国、健康意識が高まった国々でたばこの規制を強化しようという動きが続いています。
たばこは嗜好品であり、文化でもあるのに。愛煙家と嫌煙家の共生を図るのならともかく、たばこを根絶やしにしようという、グループによる活発な運動です。

例えば、今朝の読売新聞1面サイド「地球を読む」という連載で、国立がんセンター名誉総裁の垣添忠生氏は、「日本人の死亡原因の1割がたばこ」とし、毎年10万人強がたばこが原因で亡くなっている、と前置きしたうえで、「たばこは人の健康、生命に直接かかわる問題であり、嗜好とか趣味の問題ではない」と述べています。
垣添氏は、WHOは2003年5月の世界保健総会で、「たばこ規制枠組み条約」を採択。主な内容として①たばこ税や価格の引き上げ②公共の場所や職場における禁煙環境の整備③たばこ広告の禁止④たばこ包装へのわかりやすい健康警告表示―などがあり、日本政府も翌年6月に批准した、と紹介しています。
垣添氏も「私はたばこを直ちに禁止しろなどと主張するつもりはない」としていますが、「しかし、個人の問題は抜きにして、国としては、公衆の健康の問題として最優先でたばこ問題を規制の面からも考えるべき時期に来ているのだと思う」と書き、「もっとも効果的なのは、現行1箱300円のたばこ価格を、一気に500円に値上げすることではないか」と提案しています。

垣添氏が紹介したWHOの「条約」のうち、②③④は大分進められてきたように感じます。
問題は①の価格引き上げです。いま、この動きがあります。1箱1000円にすべき、とか云々。
「これを機に止めよう」という人もいるでしょう。無理して吸う人もいるでしょう。
気になるのが、ある商品を、国家とか国際機関が「健康」を目的にとは言え、規制のために値上げを画策することは、すべての人間が保有する「自由」をも規制することにつながることであり、その意識が、禁煙推進運動家らにあるか、です。貧乏人はたばこを吸うな、というわけですかね。
それほどに「有害」というなら、なぜ「禁止令」を出さないのか? いっそ禁止でもしてくれれば、問題の大きさが浮き彫りになるのですが。
非常にあいまいです。「有害物質を含む」商品から税金を徴収する―これは変じゃないですか?

そこで、たばこをスケープゴートにした欧米巨大財閥ならびに組み込まれてしまった日本の大資本の戦略ではないかとの論を、再び、紹介せざるを得ません。繰り返しで申し訳ありません。

(1)「発がん性」を言うなら、なぜ自動車等排気ガスに多量に含まれている有害物質についても同様の指摘を禁煙グループは行わないのか = 自動車産業と燃料である石油産業資本は世界経済、そして政治をも牛耳っているから批判できない。一部批判の目を別に向けるかっこうのネタが「たばこ」であった。
(2)消費者の健康意識の高まりで市場が狭くなった欧米、特にアメリカのたばこ会社がアジアを新たな市場として狙い、手始めに、日本の地場企業「日本たばこ産業」を潰し、日本市場を入手した後、日本を拠点に中国など大きな市場へ進出する = 日本でのたばこ規制、特に価格値上げで、日本市場にはうまみがないように思えるが、値上げによって経営難に陥る「日本たばこ産業」を吸収し、欧米列強の「独占」市場としてしまえば、それに見合う投資で運営できる。しかも、あくまでも13億人とも言われる中国に市場を求めているわけで、日本は拠点にしか過ぎない。

以上は、私の推論の域を出ませんが、かの大作家・筒井康隆氏も同様のことをブログで指摘しておられたので、大変心強く思っています(当ブログ8月6日付けで紹介)。

たばこの害を指摘する科学者・医師は、純粋にその有害性を指摘されておられると思います。それはそれで真摯な態度であると思います。しかし同時に、背景に巨大資本の戦略があること(推測ですが)は、ちらっと頭にかすめていただきたいものです。科学の発展は常に巨大資本の手のひらの上にあることは、歴史が証明しています。

ともかく、私は「自由」が脅かされるという危険性を指摘します。垣添氏のようなたばこを愛したことのない人には、たばこがいかに文学や映画などといった文化と密接にかかわってきたか、ご理解できないでしょう。やむを得ないことです。
ただ、垣添氏は「嗜好や趣味の問題ではない」と言いますが、人生の中から嗜好や趣味を取ってしまってなにが喜びと言えるのでしょうか。人は働き子育てして死ぬだけの存在なのでしょうか。健康が人生の目的なのでしょうか。人類の歴史の中で、文化とは膨大なムダ(他人から見て)から生まれています。
私には、「嗜好や趣味の問題ではない」との価値基準が理解できません。

もう1点。
たばこを挙げて、「健康が脅かされる」「命にかかわる問題」と科学者・医師はおっしゃいます。
それはどうでしょうか。「死」はすべての人に訪れます。たばこが原因でがんなどにならずとも、交通事故、水難事故、自殺、高血圧などなど、死亡原因はさまざま。戦争や飢餓で世界中で多くの人々が死んでいきます。たばこを吸わずとも、がんで亡くなる人もいます。

さらに、長寿であるに越したことはないでしょうが、長寿であることがすべて幸福か、との疑問があります。まして、医療技術の進歩で、植物人間になり管を体中につけられて、「生きている」ことができる時代です。
死ななくてもよい病気で死んでいた時代は悲しかったと思います。その点で、医療の進歩は人類を救ってきたでしょう。
ただ、私は「死は運命」と思っています。死は訪れるべきときに訪れるもの、と。

長寿であることが正しい、という価値観で現代はおおわれていますが、そこからは科学万能の傲慢さが匂ってきます。医療の進歩により、健康で長生きできるという思いは、死=恐怖を助長しました。身近であった死が遠ざかり、命の大切さを失う…。先日の中学生らによる知的障害者への悪辣な暴行事件(当ブログ8月23日付け参照)も、死が実感としてなくなった現代の落とし穴ではないでしょうか。

健康とは何か、という疑問も生まれます。健康でない者は失格者なのでしょうか?
私はうつですが、人間失格ですかね。はたしてすべて健康という人間がいるものでしょうか。
病気を持っていようが、体が不自由であろうが、ささやかでも幸せを感じられ、人間としての誇りを持って人が生きられる社会こそ、私たちが目指すものではないでしょうか。

誰もが肉体的に必ず死を迎えます。
最近、夏盛んに鳴いていたセミの死骸が道端に落ちているのを見かけます。冬になれば植物が枯れ、愛犬も先に逝きます。人も同じでしょう。
死は自然です。静かに受け入れるものです。恐れることこそ不自然ではないでしょうか。
自然に挑戦し乗り越えようという思想は西洋的です。アジア的な思考ではありません。アジアはもともと「受け入れる」土壌です。
いつ訪れるやもしれぬ死は死として、人生の一時一時を大切にすることこそ、人間の幸せではないか、と思います。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」(葉隠)
死ねと言っているのではありませんね。死を覚悟して日々を生きよ、ということです。
「一期一会」もその精神です。

私はたばこを横に置いて、死が訪れるべきときまで生きるつもりです。
Commented by 嫌煙家 at 2008-12-21 17:47 x
愚かな喫煙者が肺ガンで死のうが脳卒中で死のうが知ったことではないが、有害なものを好きこのんで摂取したければご自由にどうぞ。魯山人もタニシを食って寄生虫で死んだくらいですからね。

問題なのは有害な煙を周囲に撒き散らしていること。
非喫煙者の私にしてみれば、電車やホテルの禁煙室を「ガス室」と呼ぶくらい、タバコの臭いは不快極まりないものだが?

ベニスの商人ではないが、有害な副流煙を一切出さずにタバコが吸えるのなら吸えばいい。
「周囲に迷惑を掛けない」というのは人として最低限のことだと思うのだが、タバコを吸うことで周囲に迷惑する人間がいることを想像する力がないのか、周囲に迷惑を掛けていることを恥じ入る羞恥心がないのか、人として真っ当な感性を持ち合わせていれば「タバコを吸う権利」とやらを声高に主張することも憚られると思うが?

そんなものが文化なのか。

それともう一つ、若者の間に大麻が広がっていることが問題になっているようだが、何故タバコがOKで大麻がダメなのかも理解できない。
Commented by gayacoffee at 2008-12-21 19:58
嫌煙家さん、コメントありがとうございます。
最近はたばこを吸える場所が限られてきました。周囲に迷惑をかけることも少なくなっていると思います。肩身が狭いため愛煙家は吸える場所を心得ているつもりです(全員ではないでしょうが)。例えば、分煙化している当店で、喫煙できるスペースに非喫煙者がいらっしゃるとき、当店の愛煙客はすーっと外に出て吸われます。たばこを吸わない方がお帰りになるまで我慢される方もおられます。
私は、たばこが「無害」とは言いません。ただすべての悪の根源をたばこに求める近年の風潮は、より発がん性のある製品(自動車産業など)が仕掛けた「健康ブーム」に乗っているように見えます。なぜか車の排気ガスの有害性の議論が出ないのです。
私は他人に「たばこを吸いなさい」と勧めません。その代わり愛煙家もそっとしておいていただきたい。嫌煙家は「正論」で、この世からたばこを抹殺しようとされる。愛煙家は何も言えません。だからこのブログで、せめて「愛煙家のつぶやき」として綴る程度です。たばこの文化論については意見が異なるでしょうからやめましょう。たばこという嗜好品を抹殺する動きに、魔女狩り的危険性を感じています。
by gayacoffee | 2008-09-08 10:56 | 愛煙家のつぶやき | Comments(2)

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