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鮫島義一朗さんの詩集「百姓譜」

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定休日に何か読もう、と書棚を探していると、20年近く前に手にした詩集「百姓譜」(右写真)が出てきました。著者は南種子町(種子島)出身の鮫島義一朗さん(故人)です。
実は原本ではありません。種子島に住んでいたころ友人Mさんから原本をコピーさせてもらいました。Mさんは義一朗さんの親戚筋にあたるため持っていたものです。発刊は昭和37年3月です。
30本の詩の中から勝手に選んで4本を紹介します。

  宇二郎さんの死
宇二郎さんは移住民であつたから、
その墓穴は唐竹山を伐り開いて堀つた。
五月の暖い日を百姓達はそこのぐるりに
集つて来て泣いてくれた。
銭がなかつたから薬ものまないで、
なる様になつて行つたのであつた。
タマヤも棺もツチヤ足袋の空箱で間に合せた。
遠いそこの家から墓穴までの路を、
二、三人でかつぐと、
とても大した重さの宇二郎さんだつた。
それが黙つてあいつらに搾られて、
おとなしく死んで行つた身体の重さだつた。

棺を埋めてゐるとひるすぎになつて、
唐竹の山奥で茶鳩が啼き出した。
棺のふたにゴトゴト土の塊が当り始めて
オイオイそのまはりで、
百姓達は泣いて帰つていつた。

  畑で
ゴメンなあ、え知らじかぶせたとよ。
交尾(カツカア)したバッタをば掘りだあて、
おら涙ながあた。
   ●
どんなしてるか、
スミさんよ。

  
大豆のさやがこんなにふくらんでゐる。
   ●
あゝひとつひとつに手をふれて、
よんべ神さまが、
きつとこゝをお通りになつたんだ。

  百姓譜
煤けたランプも、
石油のきれたもんでともされぬ。
役人衆がもりやりうりつけていつた、
天照皇太神宮が火地炉の松煙で赤茶けて、
ぶらさがつてる。
奥の方にチャンのしわ面が、
今夜もうつ向いて、
その横に餓鬼共が四ツも並んでる。
松煙が目にしみるんでどいつもこいつも。
涙だしおる。
オラ生れてこがん貧乏で死ぬつとか。
昨日町の旦那に納めた米が二十もあつた。
旦那に正中のましてよかもの食わして、
二十も納めて、
オラこがんとのからくりをもう知つた。
目のふちくさらして貧乏しに、
オラ生れて来たとでなかど、
旦那旦那何時まで旦那でおくもんか。

義一朗さんは自序の中で「ひたむきに農業を愛しながら私達のぐるりを取り巻く限りない貧困の分厚い壁をどうして取り除くか、私は許される範囲の手段をすべて用ひた。文学はときに私しの抵抗の武器でありときにまた悲しむべき自慰でもあつた」(原文ママ)としながら、「かくし持った小さな私しのぶ気も悲しむべき自慰もすべて時の力の前には抗しがたかつた」(同)としています。義一朗さんがこれらの詩を書いたのは戦前のようです。「数々の詩稿も押収されて再び私しの手には帰らなかつた」と記しています。
「だが私しは忘れたくない、私しの青春の日の記録を、私しは今改めてひとひらの紙片すらも凡そ残されたもの、すべてを整理してみることにした」とし、この詩集が生まれたのです。
ときに種子島の方言を交え、一人の貧しい農民として、人間として血を吐くようにつづった詩です。

鹿児島でも「鮫島義一朗」の名を知る人はあまりいないでしょうが、南種子町には有志によって建てられた顕彰碑があります。
by gayacoffee | 2009-02-19 16:35 | ガヤマスのつぶやき | Comments(0)

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