
静かに午後が過ぎていきます。
カウンターの中から、南側の天井に近い高さにある排煙窓越しにもくもくとわき立つ雲が見えます(
上写真)。
お昼まで静かな静かな時間の中にいました。
午前中の静けさは、実は気分的にとても助かります。経営的にはもちろん忙しい方がいいに決まっていますが、準備に追われてしまうとその日一日中、せわしない気分で過ごしてしまいます。
朝、店内を掃いてイス・テーブル、陳列台、ケーキのショーケースなど拭いて、トイレもよく洗い、観葉植物に水を与え、店の目印でもある黄色いノボリ「自家焙煎コーヒー」など外に設置、同時に浄水器の水を汲んできてお湯を沸かし冷房を入れ朝刊をセットしたりしていると、あっという間に午前11時の開店時刻がやってきます。食器洗いを残したまま朝を迎えると、ケーキの入れ替えや販売用のコーヒー豆の補充などが開店までに間に合わないのです。
すべては夜更かしと朝寝坊のせい、と分かってはいるのですが…。
ご来店のお客様が口々に「朝夕がずいぶん過ごしやすくなりましたね」とおっしゃいます。
ここ3、4日のことでしょうか、秋の気配を感じます。
昨夜のこと。常連のお客様が、コーヒーの点て方を教えてほしい、とおっしゃるので、実演いたしました。
そのお客様も当店と同じ、逆円錐(すい)形の「KONO」式ペーパードリッパーをお使いです。
「KONO」式の特徴は、“蒸らし”をしなくてもいいことです。ここがカリタ式と異なります。
飲みたい分のコーヒー粉をドリッパーに入れ平らにし、真ん中に向けて、ポトポトとお湯を落とします。ゆっくりと丁寧に行うのがコツ。ポトポトと落とすためにはお湯を注ぐポットの口が細い方がやりやすいですね。
ポトポト落としていくとその部分だけ、ちょうど500円硬貨ほどの大きさでコーヒー粉がお湯を吸って膨らみます。じーっと我慢してポトポトを続けると、やがてドリッパーの下部、円錐の先端からじわっ、ぽとりぽとりとコーヒーのエキスが出始めます。これを合図に、ポトポトの要領でゆっくりと「の」の字を描くように円錐の中心から外側へとお湯を注ぎ始めます。ペーパーにお湯を落とさないよう注意して、今度はドリッパーの真ん中に向かって「の」の字を逆にたどりながらお湯をポトポトと落とします。
飲みたい量のコーヒーが抽出できたら、中にまだお湯(コーヒー液)が残っていてもドリッパーを外しましょう。コーヒーのうまみは最初のエキスあたりで出ていて、あとは濃さの調整に過ぎません。
注意したいのは、泡を落としきらないということ。泡にはエグみ、雑味が入っており、せっかくのコーヒーに透明感がなくなります。
話は前後しますが、コーヒー粉に注ぐお湯は沸騰させたやかんから直接使わず、別に用意した口の細いポットに熱湯を移しましょう。85℃~90℃の湯がコーヒーを点てるのに最適といわれます。
お客様「マスターは何年ぐらい修業してきたんですか?」
私「よその店で修業したことはまったくないんですよ。サラリーマンを辞めてすぐに始めました。妻が若いころから喫茶店をやっていたので教えてもらいましたけど」
お客様「えっ、そうなんですか。豆も焼いているでしょう?」
私「焙煎は5年ほど前に焙煎機を買って、サラリーマン生活の合間、土日とか夜中とかに焼いて練習していましたね」
お客様「それもほかの店では修業していないんですか?」
私「はい。妻がいきなり焙煎機を買ったんで、自己流ですね。設置のとき、メーカーの人が2回ほど焼き方を教えてくれましたが、あくまでも基本的なことでした。いまは全く違う焼き方をしています」
お客様「修業しなくても、コーヒーがおいしいからいいですよ」
私「よそのお店で修業はしたことはありませんが、おいしいコーヒー店にはよく通っていましたね。あとは生豆問屋さんに話を聞いたり、専門の本を参考に焼いて試したり。試行錯誤の連続で、いまでもそうですけど」
お客様「へ~、おもしろいですね」
というわけで、本当に趣味が高じて店を始めた、というよりも「うつ」の静養中に、自分になにがあるか自問自答した結果、学生時代に好きだったコーヒーと日本刀(居合)の道かな、と以来やみくもに進んでいるだけです。

【
追記】=午後7時46分
午後7時を回ると急にあたりが暗くなってきます。ついこの前まで午後8時前まで明るかったような気がしますが。
※右写真は午前撮影の空とJR指宿枕崎線。すっきりした青空ではありませんでしたが、湿気が少なく、日中は暑かったものの不快感は低くなってきたよう
今夜焙煎を予定していましたが、少々多めに豆を焼く必要があり、定休日の明日、じっくり焙煎することにしました。ハンドピックだけは今日のうちに済ませておくことにします。
新聞各紙が衆院選を直前にして世論調査を行った結果を伝えています。各紙とも共通して「民主圧倒、自民激減」。23日(日)付け南日本新聞は共同通信が行った調査結果を、「民主 300議席超す勢い」「自民 100台前半か」との大見出しを付け、1面トップで伝えていました。
郵政選挙の揺り返しとも映る自民の劣勢は、地方の疲弊および国民間での広がる所得格差、雇用不安など小泉時代の負の遺産を国民が嫌い、続く安倍内閣以降の“放り投げ”のような短命政権と重なるように沈んだ日本経済、年金に象徴されるたるみきりながらも自浄能力を失っている100年も続いてきた官僚組織への不満があって当然と言えば当然でしょう。
しかし、“民主優勢”も民主支持というよりも自民離れではないか、と私は感じます。「国のやることはひどいなあ。福祉や教育費を削って、そのくせムダ減らしは進んでいない。いまの自民じゃ無理だ。一度民主にやらせてみるか。ダメだったらまた自民に戻せばいいや」
こんな感情が国民に渦巻いているんじゃなかろうか、と。
でも、この1年間はとても重要な気がします。
財政再建案なしの前に消費税増税ありき、日米安全保障と自衛隊の海外派兵、日米関係・日中関係・米中関係、地球環境対策と領土・海洋資源問題などなど大きな課題が目白押しです。
それにしても、たとえ民主の議席が過半数に達したとして、100年続くしたたかな官僚に対し、選挙のたびに右往左往する代議士センセイらに何ができるのだろうか、と疑問も。いっそまず衆院・参院について憲法改正からやってみては、とも。
「民主優勢」報道でもう1点。選挙直前に自陣営優勢と新聞に書かれるのを選挙事務所は嫌います。支持者に気の緩みが出る一方、相手陣営に緊張感が走ります。また、有権者の中の浮動票が、どちらかに大勝させたくない、との“バランス”感覚が生まれることもあります。
大勝した後のことを、これまでの歴史・経験で有権者が学んでいるからです。
最後までふたを開けてみないと分からないのが選挙です。