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「似ている」「似ていない」~人は真実を見るか

自分に見えている世界と、ほかの人に見えている世界はどうやら少し異なるようです。
私だけが違って見えるのではなく、どの人にも当てはまるのだ、と少し確信が持てました。

大雪でだらだらと過ごした正月元日のこと。テレビではバカバカしい芸人番組の画面が流れていました。ある芸人(私は当然名前を知りません)がアップで登場したとき、「この人は〇〇に似ている」と妻が言いました。すると、娘2人が「似てないよ~、全然」と反論します。妻は「似ているよ~、そっくりじゃない」と言い返していました。
誰に似ていようが私の知ったことではなかったのですが、こたつで横になったままそのやりとりを聞いていて、私は内心〇〇にある面は似ているが、「そっくり」とは言えない、と分析して、はたと気付いたのです。
同じ対象物を見ていながら、人それぞれ見えている世界が微妙にあるいはかなり異なるのではないか、と。
そこで浮かんだのが、一目ぼれはなぜ起こるか、です。「蓼食う虫も好き好き」と言いますが、「あばたもえくぼ」になぜ見えるのか。もちろん、恋=“発情”という平常心を失っていることも理由でしょうが、ほかの人にはあくまでも「あばた」なのに、ある人には「えくぼ」に見えるわけで、それはやはり個々それぞれが異なる世界が見えているからではないか、と。
「美人」の概念は時代によって価値基準が変わりながら、同時代には共通項があります。
おそらく8割以上の人々が見える世界に普遍性を持った「美人」観なのでしょう。どんな「美人」も100%の人に好まれることはありません。ある人から言わせると「とげがある」だの、「タイプじゃない」「冷たい感じ」などなど。
犬はモノトーンの世界にいるそうです。色を識別する能力がないため、モノクロにしか見えないといいます。人間でも赤や緑が識別できない人がいます。私は軽い色弱で、赤や緑はほとんどの場合に見分けられますが、例えば緑がいっぱいの山の中にぽつんと紅葉したモミジの木が1本立っている景色を遠望したとき、赤を確認できません。
これは色を見分けるという機能の違いです。
視野に入っていながら見えないこともあります。
45を過ぎたころから、特にひどくなるのがモノ探し。「あれ、いま使ったペン。どこに置いたっけ」。机の周りを探し、「待てよ」と、途中トイレに行ったことを思い出して、直近の行動を再現しながらその周囲になる棚などを見渡します。それでも見つかりません。「は~っ」とため息をついて、再びイスに座ると、パソコンの左側にペンが見つかる-。似たことを多くの中高年が体験しているのではないでしょうか。そして、こう言います。
「あれ、ここは何度も見たのになあ」
見て見えず。網膜に映った情報をすべて脳が処理していないわけです。
妻が「〇〇に似ている」と言い、娘2人が「全然似ていない」と反論したのは、形状を認識し、ほかのものと対比させる機能の違いでしょう。

この世の中は、大多数がそう見えていることを前提に語られ、動いているのではないでしょうか。最大公約数の見え方、というおおよそこんな形、こんな色という人間の視覚機能の幅の中で語られているのです。
と、いうことは人間の視覚、聴覚、味覚といった対象物を識別する能力を超えるものは人間には見えないということであり、実際、ほとんどの人が赤と思っている色が違う色の可能性もあります。

寝正月にこんなことをぼーっと考えていました。
Commented at 2011-01-07 12:36 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by gayacoffee | 2011-01-07 11:59 | ガヤマスのつぶやき | Comments(1)

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