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17日(日)夜、甲突川河畔で「曽我どんの傘焼き」

いきなりクイズです。
鹿児島の三大行事」を答えてください。

答えのひとつはタイトルにあるのでバレバレですね。
曽我どんの傘焼き」がそのひとつです。あと2つは文末に。
17日(日)夜、甲突川河畔で「曽我どんの傘焼き」_e0130185_22251117.jpg
「曽我どんの傘焼き」は、鎌倉時代の曽我兄弟の仇討ち(旧暦5月28日)にちなむ薩摩の伝統行事です(右写真=曽我どんの傘焼きホームページから借用)。
建久4年5月28日(旧暦)、曽我兄弟が父の仇討ちを果たします。そのとき、傘に火をともし松明代わりに用いたとの故事に由来し、薩摩の「郷中教育」の中で親への「孝」を教えるために始まった、とされます。
毎年、旧暦の5月28日が近づくと、稚児たちは各家々から古くなった和傘をもらい集め、甲突川や浜のあちこちに郷中ごとに持ち寄り、夜の訪れとともに火が放たれたそうです。
現在、「曽我どんの傘焼き」は、明治維新時に数々の偉人を輩出した加治屋町(西郷・大久保・大山・東郷などの住んでいた下加治屋郷中は戸数70数戸)で残るのみ。西郷どん・大久保さあも稚児(子供)・二才(ニセ=青年)衆のころにおそらく参加したことでしょう。

さて、今年の「曽我どんの傘焼き」は7月17日(日)にあります。
場所は鹿児島市内の中心部を流れる甲突川河畔。加治屋町の「維新ふるさと館」近くに、地元建設業団体の協力で砂州を設け、夕方6時から必殺の剣法と恐れられた「薬丸野太刀自顕流」の演武などの後、午後7時半ごろから「傘焼き」が始まります。

私がこれまで見学したのは2度だけ。10年ほど前の記憶から。
円すい形に高く積み上げられた傘の山に火が点けられるとたちまち燃え上がり、川の両岸から眺める観衆から「おーっ」とどよめきが上がります。傘の山自体が大きな炎となります。炎の周りを松明を掲げた白い締め込み姿のニセや稚児衆が歌いながらぐるぐる歩きます。時折竹の弾けるするどい音が響きます…。
和傘を燃やす-。簡単に言うとそれだけながら、なぜこうも感動するのか、不思議でたまりませんでした。

「曽我どんの傘焼き」と共に鹿児島に本格的な夏が訪れます。傘焼きに使用する和傘は岐阜市和傘振興会、鹿児島県民から提供してもらっているとのことです。

今年の「曽我どんの傘焼き」当日までの予定は次の通り。
◆10日(日) 傘開き
「傘焼き」行事に使用する和傘の荷開きをして、風を通して燃えやすくし、プラスチックなど燃やせない部品を取り外します。「傘焼き」時に歌う、曽我兄弟の歌「狩場の嵐」の歌い上げ練習もあります。
午後1時半   参加者受付
2時       傘開き
3時       曽我兄弟の歌うたい上げ練習

◆16日(土) 前夜祭
鹿児島市内の高校などの美術部やボランティアの協力で和傘を使ったオブジェや灯篭を飾る「和灯り幻想」を実施。リバーサイドコンサートなども開かれます。
午後6時半  リバーサイドコンサート
7時~     和灯り幻想Ⅰ

◆17日(日) 傘焼き
午後6時   薬丸野太刀自顕流体験・演武
6時半     リバーサイドコンサート
7時      和灯り幻想Ⅱ
7時40分   曽我どんの傘焼き(鹿児島三大行事保存会)

鹿児島の三大行事
「曽我どんの傘焼き」「妙円寺詣り」「赤穂義臣伝輪読会」(「鹿児島三大行事保存会」指定)。
妙円寺詣り=関ケ原の合戦(旧暦9月14日)で、徳川本陣の中を島津勢が突破し鹿児島に帰還した際の苦闘をしのぶ行事。
赤穂義臣伝輪読会=江戸時代・元禄期の赤穂義士の討ち入りにちなむ行事。
Commented by ショコラ at 2011-07-06 08:51 x
ガヤマスさんつぶやき 勉強になります。
ガヤ通信は、知らないことを学べる チャンスみたい。
Commented by gayacoffee at 2011-07-06 17:24
ショコラさん、ありがとうございます。
いえいえ、書いている本人が知らないことが多く、ブログを書くことでいろいろ調べたりしています。勉強不足を思い知らされます。
by gayacoffee | 2011-07-05 08:13 | 鹿児島のご案内 | Comments(2)

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