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焦燥のすべては己が生んでいる

私はきょうを逃げた。
昨夜の寝不足にかこつけて、頭が重いと言って、昼間休憩をとった。その時間があれば十分に居合道場に行けたかもしれないが、朝いちばんの焙煎、身内の入院見舞い、今夜の焙煎の準備、真夜中に眠れぬことを指を折って数え上げ、開店の時刻には「きょうも道場に行けない」とため息をついた。
「きょうも…行けない」
「本当にそうなのか?」
ため息をついて己で問う。
すぐに自分で答える。
「仕方がないじゃないか。やることがいっぱいあるんだ。まだハンドピックも済ませていないし、このところ店も忙しい。店の窓も雨で汚れが目立ってきたから拭かないといけない。今夜も遅くなるだろうし、その余力をとっておかないと、これ以上疲れたくないじゃないか」
そう心の中でつぶやいて、午後から昼食を兼ねて休憩をとった。

自室に行き、横になってぼーっとしながら思った。
「忙しい…。忙しい…。やるべきことができないまま積み重なっていく…」
「なぜこんなに時間がないのだろう。ひとは『時間は自分で作るもの』と言うが、やることが多いんだよ、オレは」

うつらうつらとし、また目が覚めた。天井を見る。
「忙しい…。それなのにこうして寝ている。寝ているくせに忙しいと言う。変だなあ」
「この忙しさはなぜなのだろう。たいした仕事量がないじゃないか。もっと忙しい人が道場で稽古しているっていうのに」

私は20代後半のころ、知り合った同年代の青年Uくんに「おまえはさ、ハリセンボンだな」と言われたことがある。Uくんは畜産業を営みながら詩を書いていた。感受性が強く、私同様に暮らしが楽ではなく、夜中に閉店後のスーパーの駐車場のフェンスに車をぶつけバックしては前進して何度もぶつけていたと聞いたこともあった。
「ハリセンボン?」
Uくん「そう。ハリセンボン。魚だよ。威嚇すると丸くふくらむ。全身の針を逆立てているんだ」
「そんなにとげとげしいかな」
夢ばかりを追い、暮らしをたてるお金が足らず、働いても見返りの期待を持てない生活を私は数年続けていた。「自分はこの道を選んだんだ。間違ってはいないはずだ」。そう自分に言い聞かせる分だけむなしさが募った。そして世の中をうらんでいた。うらむことで自分の心のバランスを保っていた。
Uくん「一見さ、おまえは丸く見えるんだよ。物分かりが良さそうだし、話も聞いてくれる。優しい。でもね、本当はそうじゃない。いや、うそをついているって言っているんじゃない。丸いのは確かだろう。でもな、真丸じゃないんだ。よく見るとさ、針の山、針がびっしりとついた球形なんだ。ハリセンボンだ」
「針山か?」
Uくん「それが悪いってことじゃない。自分に気付けってことだよ。おまえは血刀を下げて歩いているときがある」

あれから20年以上が経ったものの、何も私は変わっていないことを、たばこで少し黄ばんだ自室の天井を見ながらきょう思った。
「時間がない」「忙しい」「どうにかならないものか」-そんな焦りをつくっているのはほかならぬ自分だ。そう、自分であることには大分前に気付いていた。だが、認めたくない。認めてしまうと自分のすべてが悪いことになり、崩壊しそうに思えたからだ。
その恐ろしさから目をそらすため、何かと理由をつけて、いろいろなものから私は逃げてきた。
サラリーマン生活からも、妻からも、家族からも、そしてきょうは居合道場での稽古からも逃げた。
ひとつ逃げるたびに言い訳を思い付き、また次を逃げるのだ。
うつを病んだのも、自分に原因があることを認める心の広さがなかったことも原因のひとつだ。

うつは逃避の病でもある。理由、きっかけは様々であろうが、現実から自己を守るために外部との接触を遮断する。脳が体の動きを止めるよう命令を出し、気力が衰える。体も動かなくなる。
いまの現実から逃げたい、どこか知らないところへ行きたい、いっそ消えてしまいたい。揚句に自死する人もいる。
うつを私が発病したとき最初の1カ月、ただただ布団の中で過ごした。いや、過ごしたはずだが、その間の記憶はない。水分をどう補給し食事はどうやって摂っていたのか、まったく思い出せない。
妻をはじめ家族、勤めていた会社の上司・同僚、友人・知人らの理解のお蔭で、会社は辞めざるを得なかったもののコーヒー店の自営というかたちで再出発した。
お蔭さまで店は3年と4カ月、なんとかかんとかやってこれている。長く会わないでいる旧友の存在も支えになった。
「好きなことをやれるっていいですね」「いいなあ、そういう生活をしてみたい」。少なからずそう言われることがある。厳しい雇用状況だし、サラリーマンも耐えるものがより重くなっているのだろう。
私は恵まれていると思う。
確かにコーヒーという魅力ある飲み物に出合ったのは自分自身であろうが、実際にコーヒー店を始めることができ、きょうも営めているのは99%が自分以外の力によるものだ。「やりたい」という意志は必要条件だが、それだけでできるものではない。

きょう、天井を見つめていて、再び自分がハリセンボンになっていると思った。
焙煎をするのも居合をするのも接客するのも店を朝夕掃除するのも、誰に強制されたことではない。そのくせ、「忙しい」「時間が足らない」とつぶやき、妻に不機嫌な顔を向ける。
前にある現実から目をそらし逃げることで、いまだに自分を守ろうとしている。
「嫌なら止めりゃあいいじゃないか」
そうなのだ。嫌なら止めりゃあいいのだ。
止めない、止めたくないのならやればいい。零細商店の忙しさは仕方がないことで、あとは工夫するしかない。結論は最初から出ている。

ある人に、私はうまく自分が時間を使えないでいることを相談したことがある。
「自営業なのだから、自分が決める自由を持っているじゃない」
そう自由なのだ。自由なはずなのだ。
天井を見ていて、その人の言葉を思い出し、布団から抜け出した。

※ブログの記事はいつも「敬体」で書いていますが、この記事は自分の心の吐露ということで「常体」にしました
Commented by bonn1979 at 2011-08-22 11:16 x
うーん。
ふだん、春風駘蕩とした雰囲気のガヤマスさんしか
見てないせいか
この記事は読み返しました。

私も自分でかってにたてたブログ更新のノルマを
このところ
放棄したら楽になりました。
時間は限られているので
自分にこもり時間寄りは誰かとおしゃべりしている時間に
あてたいな
と思うこのごろです。
*月給とりなので、いやな(つまらない・時間がかかる)仕事もしなくてはならないです。
Commented by gayacoffee at 2011-08-22 11:25
bonn1979さん、ありがとうございます。
「春風」ではなく、最近の天候のようにようやく晴れたかと思ったら突然の風雨のような私です。
この年になって、いまだに右往左往しています。心静かに、なにごとにも動ぜず、他人に優しいまなざしを向け、淡々と日々を過ごしたいと思いながら、現実はこんな風です。
血液型が関係あるか不明ながらA型の典型として、何かと決まりごとや目標、計画を自分で設定し、それにしばられるパターンが多いようですね。「放棄」という言葉がいいですね。
Commented by 盲目の剣士 at 2011-08-22 19:51 x
英信流清水寿浩 宗家がいつも言われていることは、
「仕事、家族、健康を優先に大切にしながら、居合の稽古をしましょう」です。
居合に対する思いや気持ちが大切なのではないでしょうか
「稽古には 清水の末の 細々と 絶えず流るる 心こそよき」。

Commented by gayacoffee at 2011-08-22 20:49
盲目の剣士さん、ありがとうございます。
心にしみる歌ですね。おっしゃるように長く続ける気持ちを持ちたいと思います。
日々、やるべきことをできずに翌日、そして翌々日に積み残すことが多く、それが焦りになっているようです。
by gayacoffee | 2011-08-21 15:57 | ガヤマスのつぶやき | Comments(4)

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by gayacoffee