春の嵐、鹿児島国際大学は卒業式です。早朝起床し5種類を焙煎 |
しかし、鹿児島市は朝から激しい風雨。午前9時ごろからは嵐のような天気になっています。晴れ着姿の女子学生は大変でしょう。
大変ながらも卒業おめでとうございます。
4年間、あるいは2年間、同大学内にある支店「図書館ガヤカフェ」「森のガヤカフェ」をご利用いただき、ありがとうございました。
この3月で退職される教職員・職員の方々もおられます。お世話になりました。
これから旅立つ先は荒波、大波です。お役所や一部の福利厚生がまともな団体・企業に就職が決まっている人は別として、錦江湾のようになぎた海を行ける人はごくごく一部。ほとんどの人が大揺れの中をこぎ出すことでしょう。
理不尽なことも多いし、矛盾だらけだし、意に反することも仕事とあらばやらなくちゃいけない場面でもあるでしょう。これまでのように、携帯電話片手に授業を受けていても注意されなかった人も、ちょっとしたミスで怒鳴られまくるでしょう。しかも、仕事をいちから丁寧に教えてくれる上司はほぼいません。自分で覚えるもの。それができない人は仕事には向かないと判断されます。
正社員ならともかく、契約社員や派遣社員で働き始める人も少なくないでしょう。
それでもくじけずに櫂をこいでください。人生は、なんとかなるものです。
私にしては早朝と呼べる午前6時50分に起床、朝食に朝シャワーを済ませコーヒー焙煎作業に入りました。ゆうべは閉店してから生豆のハンドピック。見かねた妻が協力してくれ、午後11時を回ってやっと終了しました。その5種類をけさ焼きました。
●グアテマラSHB(深煎り)
●マンデリンG1(深煎り)
●コロンビア・スプレモ(深煎り)
●ペルー・モンテアルトJASオーガニック=インカの香り(深煎り)
●ケニアAA(深煎り)
もうすぐ開店です。写真はこのあとアップします。
【追記】=午前11時21分

屋根、窓を叩くように雨が吹き付けます。朝早めに起きたときは風はほとんどありませんでした。台風の強風域に入った感覚です。
左写真は、開店前の外のようす。雨はともかく、風を写真で伝えるには木が大きくたわむ姿とか、風で飛ばされ散乱するポリ袋、ゴミ、発泡スチロールの箱といったモノを撮るわけですが、あいにく店の前にそんなものがなく、ご覧のように自動車が走る写真となりました。風の強さが伝わりませんね。
ベランダに干していたジーパンが案の定、風に飛ばされていました。それを撮れば良かったでしょうが、ベランダの隅に置いているメダカの発泡スチロールの水槽に落ちていて、あわてて拾い上げたため撮影どころではありませんでした。メダカは大丈夫だったでしょうか。それを確かめる間もなく開店時刻となってしまいました。
夕方の休憩時に確認します。ジーパンも洗濯し直しです。
【追記】=午後0時4分
風雨の中、ぽつぽつとコーヒー豆を買いにきてくださるお客様があり、とてもありがたいことです。
高校時代の同級生Jくんからきのう、「豆を買いにあすかあさって行きますから」との電話があったと妻。こんな天気に来るか不明ながら、楽しみにして待ちましょう。
【追記】=午後7時58分
ひどい土砂降りは午後2時を過ぎたころには治まり風も止んで、薄日が差してきました。天気が回復するに連れ、店が静かになっていきました。夕方の休憩時に、メダカの水槽に落ちたジーパンを洗い直し干しました。
常連のKさんが来店、話題は日本のTPP参加でした。
Kさんは勤めの上では「TPP反対」なのですが、ご本人は「どうでもいい。知ったことじゃあない」と言い切ります。
Kさん「そりゃあ、参加国、なかでもアメリカから関税抜きの安い製品・食品・資材が入ってきて、日本のいろいろな業界が混乱するだろうし、中小・零細に限らず企業も農家も立ち行かなくなるかもしれない。でもさ、これまでその業界の団体とか監督省庁はなにをしてきたかってことだ。外郭団体をつくって補助金だの助成金を、限られた税金から引っ張り出して、そんな団体がいくつも群がって、甘い汁を吸ってきた。外郭団体や業界団体に官僚が天下る。そんな仕組みを作って、その不利益が消費者、国民に回ってきた。直接に現場の人間が補助金や助成金を受け取れるならともかく、途中でいくつもピンハネされているんだ。TPP反対を唱える連中の本音は、ピンハネ体制、天下り先の保護だし、利権の確保だよ。裏側から見るとそんなことが多いね。だから素直に『TPP反対』なんて言えない」
私「なるほど。明治以降の中央集権官僚制度は、政治家も手をつけられないでしょう。がっちり組まれて、なにがあっても制度は守られる…」
Kさん「おっ、その明治以降っていうのでこの前聞いたのが、道普請だね。道路整備の基本は地元の役割だったらしい。それを国や県など行政が税金を使って整備したのは明治以降とか」
私「そう言えば、先日五位野で写真を撮った『五位野橋』、別名「園田橋」は地元の庄屋が岩永三五郎に造らせた石橋でしたね。旧谷山街道に架かる一連アーチ式でした」
Kさん「へ~、おもしろいね」
私「ひとつは、明治政府が近代国家へ急ぐ過程で富国強兵があって、その流れから軍隊と軍備を短時間で大量に全国の隅々へ届けるインフラとして鉄道網を整備していったと聞きましたね。国道も戦前には、各地で土地を強制収用するようにして造られたとか。国道225号でもそんな話が伝わっているようです」
Kさん「そうなんだよ。結局は国とかお役人は決めたことをなにがなんでもやるんだ。『反対』『反対』も、『反対』と叫ぶことが目的で、それが存在意義だったりして、結果は別にどうでもいい連中が多いんだよね」
さきほどNHKBS「世界のドキュメンタリー」という番組で、カーター大統領がホワイトハウスに付けたソーラーパネルの行方を追ったスイスのドキュメンタリーがありました。カーターさんは1970年代後半、30年数年前の大統領ですね。
中東情勢が不安定で、当時ソ連との冷戦が緊張度を増す中、石油価格が急騰し、ガス欠でアメリカ国民はカーター大統領に見切りをつけます。イランで起こった大使館人質事件を解決できなかったことが致命傷となりますが、実はカーター大統領は石油に頼り過ぎるエネルギー問題を根本から検討しようと、ホワイトハウスにソーラーパネルを設置していたそうです。いまならごく普通に見掛ける太陽光パネルですが、30年以上前の話ですからね。
ところが当時アメリカ国民は将来のエネルギー問題よりもきょうのガソリン価格を選びます。テレビで国民に呼び掛けるカーター大統領の「義務」だの「責任」だのという言葉にもうんざりしていて、俳優出身の強いアメリカを取り戻せ! とパンチの効いた言葉でさっそうと語るレーガンさんを次の選挙で選びます。
ソーラーパネルは外され、人手に渡りますが、その後、アメリカのスミソニアン博物館(国立アメリカ歴史博物館)が保管することになります。カーター時代に「選ばれなかった道」として展示されている、と番組が伝えます。
Kさんの話、そしてカーター大統領のソーラーパネルから教えられるのは、決して正論が選ばれることはない、ということです。正しいかそうでないかは、のちの歴史学者が決めるとしても、たとえ筋の通る正論があっても人が選ぶわけではなく、選ぶのは様々な利害、しがらみ、バランス、タイミングといった尺度が決め手となるのでしょう。