日中は雨が止んでいますが、夜から大雨の予想。朝、焙煎 |

※右写真=当店前から南を見る。JR坂之上駅のかなたに川辺との境につながる山並み。きのうの雨で空中を漂っていた黄砂もPM2・5も流れすっきり!
梅雨入りして2日目。鹿児島市は朝からとりあえずいまのところ雨が止んでいるものの、天気予報によるとまた降り出す予想です。種子島で大雨があったようです。地元民放・南日本放送(MBC)のニュース欄をみると、「薩摩・大隅地方と種子島・屋久島地方では、3日夜はじめごろから4日朝にかけても、1時間に50mmから60mmの非常に激しい雨の降るおそれがあります」と警戒を呼び掛けています。気温はそう高くありません。午後0時半現在で24・2℃(アメダス)。この時間、店内に冷房を入れていません。きょうの予想最高気温は25℃となっています。
きょうは第1火曜。いつもなら第1と第3火曜の午後3時から、当店奥のスペースで「書道教室」がありますが、6月と12月は主宰する先生のご自宅で開かれます。毛筆の課題が縦により長い用紙を使うため当店のテーブルではおさまりません。
開店前のコーヒー焙煎は2種類でした。
●マンデリンG1(深煎り)
●ブラジルNo.2(中深煎り)
【追記】=午後1時12分
かさぶたを剥ぐのを思い浮かべるだけでゾッとする人はこの先を読まないでください。
先週中ごろでした。左足先に痛みを覚え、目が覚めました。寝相が悪かったようで布団を蹴った拍子に小指の爪を引っかけ、爪がはげかけました。私は普段、素足に雪駄履きで、つま先を壁やら床に置いた荷物などにぶつけると多少なりのダメージが残ります。左足小指の爪も何度かつまずいてダメージが重なり、ついには布団に引っかけてはげかけるに至りました。問題は、はげたのならともかく、「はげかけた」状態になったことです。中途半端です。裸足で雪駄を履き歩いていると、あちこち当たって爪がめくれそうになります。仕方なく、ばんそうこうを指に巻き保護しました。
数日が経ち、ばんそうこうをめくっても新しい爪が生えてくる様子はありません。このままにしていても「はげかけた」ままで、何の解決にならないことに気付きました。何かにひっかけて痛い思いをしないか、始終気にし続けなければいけません。宙ぶらりん。
で、ゆうべ、荒療治です。ゆっくりやっても仕方がありません。エイッ! こういうことは一気にやった方が痛みもありません。
【追記】=午後5時59分
いつもならこの時刻は休憩をとっています。妻が夕方になって鹿児島国際大学内の支店「図書館ガヤカフェ」の仕事で出たため、店に出ています。
とうとう鹿児島市では雨粒が落ちないまま夕刻となりました。湿度が高くなっています。日中より蒸し、いま冷房を入れました。
昼過ぎ、学生さんが2人来店。いろいろ話を聞きたいと先日予約がありました。授業の一環とか。「いろいろ」とは何だろう、最近興味のある「修験道」の疑問点を披露するか、それとも波平一類のことか、と考えていましたが、学生さんからの質問は「なぜコーヒー店を始めたか」といったことでした。とりとめのない話をしてしまいました。
足の爪の続きです。
素足で雪駄を履いていると、つま先をしばしば柱などにぶつけます。西洋式の靴を履いていると分からない感覚でしょう。数年前、居合は日本式の歩みが基本だろうと雪駄履きを始めました。当時はかなりの勢いであちこちつま先をぶつけて痛い思いをしていました。最近はぶつけることが減ってきています。慣れでしょう。
素足の感覚が人間には重要なんじゃないか、と漠然と思っています。
先日、久しぶりに日本刀を鑑賞しました。無銘ながら波平の極めある刃長2尺3寸超。末古刀、とのことゆえ、戦国期です。茎(なかご)はごく自然な錆色。銘を削った細工もなく、はじめから無銘だったのでしょうか。物打ちから先がぐっと細身となっています。
所有者「これが波平らしい姿と言えるんじゃないでしょうか」
肌は大きく複雑に波打っています。
私「波平は鍛え(傷)が多いとか聞きますが、目立ちませんね。きれいなものです」
所有者「細かく見るとありますが、まあまあでしょう。典型的な波平の地鉄です。これをよく覚えておくといいでしょう」
細直刃。「刃中に働きがなくさびしい」などと評される末波平ですが、どうして、どうして。小沸つき、白気映りも確認することができました。刃縁もいろいろと働きが見えます。なによりも斬れそう。これがいちばん重要なことです。日本刀は実用品です。
これ以上詳しく書くと、どなたの刀か、以前はどなたが所有しておられたかまで分かってしまうので、このくらいでぼかします。
【追記】=午後8時2分
夕暮れあたりからまた本降りとなってきました。
あすの定休日はコーヒーかわら版「Gaya通信」6月号の制作を進める予定です。できれば一気に、と。雨が降らなければ自宅裏の草刈りもしたいと思っています。

「いろいろ」と言う割に軽いですね。ひょっとすれば、学校を出ても先々のことが見えないので、喫茶店「でも」、という軽いノリなんでしょうか。
「軽い」と言えば、先日亡くなった叔母のお通夜でのこと。坊主の読経が終わってから到着したので、周囲全員が喪服姿である中で私だけがブレザー姿でした。遠方からの参列者として珍しがられたのか、某高校の先生とおぼしき中年男性からの質問に対して、「谷山中出身ですよ」と答えた瞬間に、「その後は南高校への進学でしたか」でした。当方としては、やむなく、「ツルマルです」と答えざるを得なかったのですが、先方は「うへっ」と言ったまま黙ってしまいました。
(続き)

インタービューは勿論のこと、さりげなく声を掛けるときにもコツを心得て欲しいですね。
私は気が弱いのですが、大阪空港で困っているふぜいのヤクザに話し掛けて助けたことがあります。偶然、マニラ空港で再会し、先方から「助けてくれはった堅気のお方のことは忘れはしまへん」と言われたことがあります。
某先生の授業では、坂之上に住んでいる人に話を聞いてまとめるというようなことをやっておられるそうです。
20歳前後の若者が様々な世代の人間に会って話を聞くという体験自体が貴重なことかもしれません。
ま、「いろいろ」な話と言っても、私の知識などどなたかが言ったり書いたりしたものばかりで、受け売りです。いかにも、という風に語ったりブログに書いているわけで振り返るとかなり恥ずかしいことです。このあたり、前職を引きずった悪い癖です。
「なぜコーヒー店を始めたか」との質問は、その意味で私の胸にぐさっと槍を刺すようなもので、私以外答えられない内容と言えましょう。
さて、コメントにある某高校の先生の質問はいかにも鹿児島人らしいですね。「出身はどこか」「どこの高校を出たか」「だれだれを知っているか」などと、初対面でこちらの身元調査のような問いがあります。

昔、ぼつぼつ機内での禁煙が実施されそうな頃のことです。機内の最後尾のギャレー周辺で立ったまま客室乗務員からビールを貰い、タバコを吸っていました。横に中年のヤサ男がいたので世間話をしていたのですが、私のほうから「どのようなお仕事ですか」と話し掛けたところ、「わては、この娘らの買い付けですわ」と、ちょっと虚勢を張ったような答えが返ってきました。ジャパ行きさん達のスカウト役だったのです。
「買い付け」というのが、いやはや生生しいですね。
さりげなさとはちょっと違いますが、以前の仕事で、公職にある人にちょっと微妙な背景など聞くとき、なかなか厳しい表情の相手も、こちらが「さあて」という顔をしてノートを閉じる素振りを見せると、ぽろっと本音をこぼすこと、「実はね…」などともらしてくれることがありました。試合の駆け引きにも似ていましょうか。攻めてばかりでは相手は「守」に入るので、隙をつくることも必要でした。

本日の関西版夕刊「よみうり寸評」
小欄は栃木で駆けだしの記者時代を送った。
記者が担当する欄をへりくだっていう場合には納得できますが、自分自身を「小欄」と称するのは寡聞にして知らず。どうぞ、ごショウランくださいませ、みたいですね。「今では小欄を担当しているが」ぐらいが良かろうかと。それとも、私の脳味噌がコンラン?
コラムなどを筆者がへりくだってなのか「小欄」と表記するのをたまに見ますね。「弊社」みたいな感覚なのでしょう。それにしても筆者自身を「小欄」とは…。初めて聞きました。まさに、「うへっ」ですね。

何年前のことであったか、フィリピン在住の裕福な華僑実業家と東京で行動をともにしました。新宿の焼き肉が美味しいということで、銀座のホテルからタクシーでレッツゴーとなりました。入った店に数名の先客があり、見ただけで判るようなその筋のお兄さんたちでした。インテリ風の兄貴分が4~5名の子分たちを前にして説教しておりました。
店員たちは近づくのを怖がっていたのかもしれませんが、お店の構造上、奥のテーブルを指定され、我ら2人が子分らの背中を擦るようにしながら、彼らの隣席に案内されました。その折に、私よりも前を歩いていた華僑が、彼らの背中に向かって"Excuse me (us)."と言ったのです。
そのことを素早く察知した兄貴分が言いました。おい、お前らは、今の二人が言ったことを理解したかい。失礼いたします、と言ったのだぜ。これからは、お前らも堅気さんに対して礼儀を知っておけ、云々。
正直なところ、焼肉は美味しかったはずですが、彼らが隣にいる間、何を喰ったのか飲んだのか、憶えていません。
銭湯で、知人が髪をシャンプーしばしゃばしゃと洗って水で流してふと横を見ると刺青を入れた人が座っていて、シャンプーを飛ばしたかも、と恐ろしくなってさっと体を洗って出たと言っていました。おそらくその筋の人だったろう、と知人は言います。
ただ、ばしゃばしゃとシャンプーを飛ばす洗い方は、隣が誰であろうと礼儀を知らない本人が悪いのでしょう。

ところで、ヨカニセと言えば、谷山の従弟は「まむし」のことをそのように表現していました。


マムシを「ヨカニセ」と呼んでいたとは知りませんでしたが、鹿児島的なジョークらしい言い方ですね。

熊本県に関して面白い記事に行き当たりました。
個人の資質や大学などではなく、何故か出身高校で人を判断し、学閥(高校閥)的な雰囲気も社会全体に蔓延。
人が集まれば、「高校はどちらですか?」の会話から始まる。熊本高校(県下1位)、済々黌高校(県下2位)の出身の時だけ大学名を聞かれ、それ以外は相手にされない。
高校で閥が築かれるのは鹿児島だけではないのですね。でも、ゆえあって大学に行かなかった人でもラサール高校とか鶴丸とか出た、あるいは中退したと聞くと、もとの頭は良いんだろうなあと思ったりします。
私が就職活動をしていた大学4年の秋、親が地元の某企業にコネクションを持つ人物にそれとなく入社の依頼をしようとしたところ、「高校は鶴丸か? 甲南か?」と聞かれ、それ以上、話を進められなかったとあとから聞きました。大笑いしました。虚勢ながら、「そんなカスみたいな企業にコネで入らずに良かったよ」と言いました。
1位と2位はどこの土地でも各界に強いですね。

本日の日本経済新聞の夕刊における「あすへの話題」欄の寄稿担当者であるピアニストは、「国際的にも注目されていた作曲家が献呈してくれた」と書いていました。「献呈」とは「差し上げる」という意味の謙譲語であるからには、このピアニストさんは何様なんでしょうね。
先日、某国立大学の准教授が私に新著を贈ってくださったのですが、私は「ご寄贈に感謝いたします」と書きました。「寄贈」も槍玉に挙がるのかどうか自信ありません。
「小欄は断じてきれいごとの応援団でいたい」のくだりでしょうか。西部本社の鹿児島版は夕刊コラムを、翌朝刊に掲載しているのでときどき読みます。「小欄」って、コラム欄自体を指すんでしょうけど、あまり目にしない言葉ではないでしょうか。しますよね。書いているのは一記者なのに。コーナーと筆者個人が同一化しているわけですね。格好いいなあ(もちろん皮肉)。そういえば、「小紙」という文もあります。

担当者が女性であっても、編集段階で「匿名」扱いしているからには、強引に「編集子」で通せば良さそう。
ま、あまり拘ると当方が偏執狂扱いされそうですから、ほどほどに。
単に筆者はぐらいでもよさそうでしょうが、伝統を重んじると大時代的になるんでしょうか。

新聞社の知人が「最近の若い人は取材前にネットですぐ調べる。便利だけど、先入観とか余計な知識が入るとまずいんじゃないかな。記者は偏見を持たないで取材に入るべきだと思うけど」と言っていました。10年前のことです。ネットだと、引用するつもりはなくても検索で知った情報はたぶんに影響するでしょうね。もちろん引用するときは、相手先を明記するのがルールです。