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ぼんやりとした晴天。暖かくなってきたような…。祖父の命日

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当店前の市道からJR指宿枕崎線・坂之上駅。観光特急「指宿のたまて箱」(いぶたま)が入線。上り時には、踏切との時差の関係で「いぶたま」は坂之上駅に一旦停車。菜の花が似合う

久々に暖かい朝でした。寒くても暖かくても布団からなかなか抜けられません。
けさは、目覚まし時計3個+妻が使わなくなった携帯電話(回線不通)のアラーム機能という万全の態勢で朝を迎えながらも大寝坊しました。完全武装して討ち死にです。ゆうべ閉店前にぽつぽつとお客様がご来店され、入眠剤「ユーロジン」を飲むタイミングが2時間遅れました。遅れを取り戻そうと思い、布団に入る直前に入眠剤「ゾルピデム」を1錠飲みました。これがどう相互作用で効き過ぎた可能性があります。試行錯誤中ながら、「ユーロジン」を早めに飲み、精神安定剤「エチゾラム」を追加するくらいの効き目がちょうど良いようです。
冷え込み・乾燥期が過ぎ、体のかゆみが徐々におさまってきました。用心のため、かゆみ止め効果入りの保湿クリームを肩・胸・腹・背中、そして脛に塗って休んでいます。未明にかゆみで目覚めることはありません。暖かくなり小用で夜中に起きることもなくなりました。問題は、春眠でしょうか。
相変わらず、心地よい眠りのための工夫に苦慮しています。寝るために起きているかのよう。それは死ぬために生きていることにも似て、愚かしいかなと我ながら思います。ただ、視点を変えると、生きるとはいかに死ぬか、という哲学めいたことか、などと能書きを垂れ、己に酔います。

大急ぎで開店前のコーヒー焙煎を3種類。開店時刻内になんとか焙煎を終了。
●グアテマラSHB(深煎り)
●ブラジルNo.2(深煎り)
●ドミニカ・バラオナAA=期間限定豆(深煎り)

新たに登場した期間限定の「ドミニカ」はカリブ海系の豆です。あの「ブルーマウンテン」が採れるジャマイカのお隣です。豆も似ていて、大粒で姿がそろっています。「フルシティー」ぐらいの焙煎度で煎っています。香り高い、わずかに酸味が残るかどうか程度で甘味が勝るくらいを狙っています。お試しください。

午前中、ぼんやりとした晴天でした。昼を回り薄雲が広がってきました。
取引先の金融機関の営業担当が、「お金を借りませんか?」と言います。「必要なときには借りましょう」と応えます。借りて使うのはあっという間ながら、返済は長く負担がのしかかりますね。営業ノルマもあるのでしょう。どうにかこうにか無借金で、春の資金繰りのヤマ場を乗り切る計画です。消費税に保険料など一括でどんと引き落としが済むまでは気が抜けません。
関東在住のメル友から、「父親が汗水流し身寄りもない土地でいちから築いた店・土地にも相続税がかかるようになった。政治家の親族は相続税対策を巧みに切り抜けているとニュースでみた」といったメールが届きました。
税金、税金、税金ですね。水道の蛇口を絞れ、国会議員をボランティアにしろ、警察・防衛を除く官公庁を半分の規模にしろと言いたい。少子高齢化なのに膨らむ一方の行政機関です。消費者庁を徳島に移すなんて小手先でごまかすなよ、と怒りすらこみ上げます。
年金も不透明。これでよく政権が持つなあと思いますが、不思議ではありません。野党の体たらくです。
民主党がいまやるべきは、維新と合体して新党の衣を着ることではなく、解党でしょう。いまだ、政権交代を訴えている岡田代表を見ていて、あきれるやら、悲しくなるやら。
次の選挙は自民が勝つでしょう。なぜか、テロや暴力の横行する悲惨な欧米・中東、一党独裁の締め付け厳しいアジア諸国、ああだこうだ文句をつけてくる隣国に比べると、日本はまだましか、という消極的消去法で、いまのニッポンを選ぶと想像されます。とりあえず安全・安心か、と。幻想であれ、庶民はそこにすがりたい。実態は、震災復興・福島しかり、硬直・閉塞した社会構造しかり、沖縄の基地問題しかり。かなり先行きが不安定です。東京五輪も本当に開催できるんでしょうか。北海道新幹線は一部開通したしなあ、とか。目先のいまは「他よりもまだましか」という安全牌で流局を願うのが有権者心理ではないか、と愚考します。

とりあえず、ここで一旦ブログをアップします。

追記】=午後8時58分
閉店の時刻が近づきました。あす、あさって、連休をいただきます。

昼過ぎから雲が多くなって、日差しがなくなると店内がすっと冷えるので緩めに暖房を入れ、いまに至ります。
「なかなか暖かくなりませんね」と常連のお客様。外出時に上着を1枚ひっかけるか、どうするか迷います。

きょうは祖父の命日で、お寺に墓参りに行きました。明治中ごろ生まれで、私が小学高学年のころ亡くなりました。同居していたので、幼い私をよく散歩に連れていった記憶がかすかにあります。当時、坂之上で耕地整理事業が進んでいました。工事で走り回るブルドーザーを見に行っていました。
厳しい祖父でしたが、私には優しく大事にしてくれました。小学高学年に近くなると、私もそろそろ自我が芽生え始め、いろいろ関わってくる祖父が鬱陶しく思え、避けるようになりました。祖父はさぞさびしかったろうと、遠いことながら思い出します。
私の記憶にある祖父は、高血圧で体を壊し杖を突きながらゆっくり歩く姿です。おしゃれで、頻繁に髪を整え、外出時は羽織をまとい、必ず帽子をかぶっていました。
若いころ、大工(棟梁?)だったか、木材商だったかそんな仕事をしていて、一時は羽振りが良く、三味線や踊りなど習っていたとか、宮崎で建築の仕事をして芸者さんと仲良くなり実家に近寄らなくなって曽祖父が叱ったなどといった話を伯母などがお盆に集まったとき語っていました。なかなかの、いまで言うイケメンだったようです。年をとったころ撮影した遺影からも鼻筋が通った端正さがうかがえます。ただ大の写真嫌いだったようです。
私が生まれたとき、100何十年ぶりの男子の長子誕生ということで、宴会をした写真が実家に残っています。祖父も父も三男で末っ子です。産着の私を祖父が抱いて、珍しく目を細めて笑っています。
木材の仕事をバリバリやっていたころ、後年鉄道の枕木で財をなす岩崎與八郎氏(岩崎グループの創業者)はまだ“コドイ”(小使い)だった、といった本当かどうか分からない話も残っています。
所帯を持ちながら実家に戻ってこない祖父を、曽祖父が戻しました。事業も下火になっていたのかもしれません。以後、農業を継ぎ、妻(私からみて祖母)を終戦の年に亡くした後も貧しい中、男手ひとつで女4人・男1人の子を育てます(長男・次男は早世)。父は新制高校を卒業します。大学進学を希望していましたが、汗水流し働き続ける祖父の姿を見て進学を断念し国家公務員(気象庁)になりました。
祖父の臨終の際、私が祖父の枕元に近づき別れを告げると、祖父がはっきり一言。
「東大へ行け」
いやはや。どういうつもりだったのか。祖父の希望はかなえられませんでした。出来の悪い孫でした。残念。
確かに教育熱心な祖父だったようで、伯母(故人)の話ではいまで言う小学校のPTA会長のようなことをしたり、教師をたびたび自宅に招き飲ん方(飲み会)をしたり、しばしば授業中にふらっと教室を訪れ、「また来たとそれが嫌で仕方がなかった」と伯母が思い出を語っていました。
焼酎が好きで、亡くなる前まで黒ぢょかで晩酌をしていました。お茶請けはもっぱら黒砂糖。甘党・辛党でした。大相撲が好きで、本場所のテレビ中継ともなると、近所の同年代のご隠居が集まり焼酎をちびちびやりながら観戦していました。私は、テレビを祖父らに占領されるのが嫌でした。
たばこも大好き。煙管にたばこをひとつかみ詰め、火鉢の小さめの炭を火バサミで挟みちょっと持ち上げ、すぱすぱっとやっていました。私のたばこ好きは祖父が原風景でしょうね。死ぬまでたばこを吸って、84歳まで生きました。

JR坂之上駅近く、国道225号沿いにも太陽光パネルが並ぶ。土手の手前がJR指宿枕崎線。駅側から撮影
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by gayacoffee | 2016-03-29 12:30 | 焙煎人日記 | Comments(0)

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