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定休日。夜明け前に刀の手入れ。晴れて日中、洗濯・布団干しも

定休日。夜明け前に刀の手入れ。晴れて日中、洗濯・布団干しも_e0130185_2050472.jpg
水曜の定休日でした。ようやく晴れ間が広がってきて(右写真=午後0時すぎ、自宅裏の菜園から西の空)、昼から洗濯・布団干しもしました。

営業日ならもう閉店のこの時刻、いま3種類のコーヒー豆を煎り終えたところ。
●マンデリンG1(深煎り)
●マンデリンG1=ライト・マンデリン(中深煎り)
●ブルンジ。カルシ・ブルボン=準期間限定豆(深煎り)

明朝、休み明けの開店前はあれこれやることもあり、時間的に多めの焙煎ができません。ただでさえ寝坊する私ですし、休みが入って生活のリズムが乱れがちです。
乱れがち…? いえいえ、すでに休みの前夜から乱れてしまいましたね。不規則が規則という私らしい休日の迎え方です。
定休日の日中は金融機関回り・食材・雑貨買出し、店の掃除、そして焙煎で半日過ぎます。

ゆうべ、いつものように精神安定剤に入眠剤を飲み、午前1時ごろ気を失うように眠りについたのもつかの間、体を爪でかいて、たまらず目が覚めました。入眠剤「ゾルピデム」がかなり効いているタイミングにも関わらず、かなりのかゆみ。二の腕、おなか、太もも、背中と広範囲にかいたようで、跡がみみずばれ状になっていました。原因不明のじんましんです。困ったもの。アレルギー治療薬と称する対処薬「ザイザル」を飲み、すっかり頭の半分が起動したこともあり、ゆうべ長めに素振りをして汗ばんだまま寝たこともかゆみの一因ではないか、とあれこれ考え、未明のシャワーを浴びました。
これで3分の2の脳が動き始めました。
そこで始めたのが居合で使っている刀の手入れでした。

しーんと静まった居間のテレビをBGM代わりに点け、刃長70cmの刃が研ぎ減ってしまっている無銘の刀の手入れをしました。おそらく「再刃」でしょう。地肌の一部にねっとりとしたぎらつきが見られます。その上、かなり「研ぎ減り」があります。鞘を払って870gほどですから、かなり軽い。おそらく幾多の戦場をくぐってきた刀ではないか、と想像します。

「再刃」とは、焼入れを2度以上行ったものを言います。
戦場や火事で刀が火に当たると、鉄の棒に戻ってしまいます。そこで、再び刃を入れ、使用可能にしたものを「再刃」と言います。刀は昔も高額品であり、また魂ともされたので、大切にしたのでしょう。

日本刀は砂鉄を主な原料にたたら製鉄で精錬した和鉄のもっとも純度の高い、わずかに作れる部分を、刀工が延ばしては折り返して重ね打ち、延ばしては折り返し重ね打ちをして異物を弾き飛ばしつつ、いく層にも鉄を重ねることで、折れにくくよく斬れる刀を編み出したのが日本刀です。世界に類を見ない地鉄の美しさはここにあります。
鉄を刀の姿に整えて、いよいよ焼き刃を入れる作業。まだこの時点では刃はないのです。焼入れをして刃ができます。
土置きをした鉄の棒(刀の姿はしている)を炭の中に入れ、ころあいを見て、真っ赤あるいは白っぽくなるまで高温に熱した鉄の棒を一気に水あるいはぬるま湯に入れます。よくテレビなどで紹介される場面はここです。刀の反りも収縮率の関係からこの時点で生まれるそうです。
折り返し鍛錬も使う木炭も鉄を熱する温度も焼入れの水の温度も、ほかいろいろ、その刀工の家伝とされたそうで、平安の初めに完成をみたとされる日本刀は、明治になって一時、「欧米化」で衰退の危機があったものの、敗戦直後には関係者の努力で日本刀の復興が始まり、いまに至ります。全国に現代刀工が日々鍛錬をしておられます。

前置きが長くなりましたが、「再刃」「研ぎ減り」と書く以上、日本刀の打つおおまかな流れを説明しないわけにいきません。ブログを読んでくださっていても、さーっと読み流してしまうはずです。ま、興味のない人には無駄な情報でしょうけど、1人でもいいから、「なに、再刃ってこういうことか」と思ってくださるきっかけになれればと思うのです。ただでさえ、日本刀のことなど興味のない人が多くなり、「怖い」だの、「危ない」だのと言います。日本刀の歴史を知って、それを言えるか! と私は叫びたいのです。すーっと読み流されてはいけない、という私の心意気とでも申しましょうか。しつこく、くどくどと書き連ねるわけです。以上は、言い訳ですね。
ちなみに、近ごろ、戦国ファンの女性が増え、刀剣好きもやや多くなっているとは聞くものの、果たしてその女性が長く刀を愛してくださるやら、一時のブームに終わりやしないかと思ったりもしています。

刀は飾り物ではありません。所領争い、大義のため、覇権争いなどで戦を生業とした武家の道具=武器でした。薙刀、弓矢、槍などほかにも武器はありますが、刀は武人の象徴でもありました。
戦は接近戦となると斬り合いとなります。甲冑を身に付けているため、そうそう斬れるわけでもなく、また刀同士打ち合えば刃こぼれもします。戦乱期には全国で大量の刀が打たれ、とりあえずひと戦折れなければよい、というレベルの、俗にいう「束刀」「数打ち」といった粗造刀もかなり出回ったそうです。室町期には、中国・朝鮮への輸出品の中心にもなったほどの刀が打たれたそうです。
激しい戦の後、打ち合った刀は刃がぼろぼろ、折れなかったものの曲がりの出た刀もあり、戦場で便宜的に鞘に入るよう戻したりしていたそうです。
刃こぼれをすると、研ぎます。研ぐということは刀の、特に刃の部分を減らすことになります。刃だけでなく、そうなると重ね(厚み)も研がなければ姿がおかしくなることもあります。刃こぼれでもっとも多いのが切っ先です。相手を突いたり、地面を叩いてしまったり、樹木に当たったりで、欠けやすいのです。切っ先にも当然焼き刃があります。しかし、5cmも10cmもあるわけではありません。せいぜい1~2cmでしょうか。切っ先の刃が無い刀を「帽子なし」と呼び、実用にも鑑賞(美術工芸品として)にも評価がまったくなくなります。

長々と書いた刀の話で、何を言いたいか。
前述のように、日本刀の始まりは平安初めともされます(それ以前は片刃の直刀、あるいは剣)。時代によってシルエットや平均的長さなどに変化はあっても、基本の姿は1000年以上も同じです。1000年ですよ。驚くべきことです。車なんか、しょっちゅうデザインが変わるじゃありませんか。ま、四輪であるベースは馬車からの伝統でしょうけど。
話を刀に戻します。さらに驚くのが、平安末期、鎌倉期に打たれた刀がいまに伝わっていることです。さすがに源平のころの刀は希少としても、鎌倉期・南北朝に打たれ、日本中が戦乱に明け暮れた室町の応仁から始まる戦国時代、そして幕末・維新の戦乱をくぐりぬけ、そして最大の危機がやってきました。太平洋戦争敗戦直後に連合軍によって日本刀を接収・廃棄すべしとの命令が出されたのです。長い長い歴史をくぐってきた文化財である刀が、あるものはガソリンをかけて溶かされ、または鹿児島では大量の刀が錦江湾に捨てられたそうです。
それでも残った刀があるんですね。
私の研ぎ減り、おそらく再刃の刀も、美術的価値はないにせよ、立派に刀なのです。
そんな刀の歴史を思いつつ、打ち粉をあて、丁子油を薄く引き、居合で大切に使おうと思う夜、いえ、そのころには夜明け前でした。
by gayacoffee | 2016-05-11 22:14 | 焙煎人日記 | Comments(0)

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