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小・中学校の同級生Uくんと坂之上を散策、祠・五輪塔など巡る

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地蔵さん(?)と積み上げられた複数の五輪塔の残骸を撮影するUくん

先週の水曜、定休日・2月14日に、小・中学校の同級生Uくんと、ふるさと・鹿児島市坂之上の昔ながらの集落を散策しました。
Uくんは首都圏で長く暮らし、現在は会社を経営しています。ご母堂が鹿児島市に健在で、月に1回ほどのペースで里帰りをしています。昨年だったか、当店に来てくれました。その際、Uくんの家が代々祭ってきた祠が近所にあった、と聞き、私はその場所を教えてほしいと頼みました。Uくんも年を重ねてきて、故郷の歴史に興味がわいていると言います。一緒に散策をしようと話したものの、なかなか実現しませんでした。そこでUくんが「日を決めよう。そのうちって言っているとなかなか(散策が)できないよね」ということになり、先週の当店定休日に合わせてUくんが時間をつくってくれました。

午後1時に当店を出発。まずはUくん宅へ向かいました。幸い、ほかほかと日差しのある散歩日和でした。
Uくんの家の周りにも祠があちこちある、とのことで、まず案内してもらいました。続いて、私が知りたいと思っていたU家が長く祭っていた祠跡(現在は消滅)へ。その後、製鉄の跡と思われる“かなくそ”(鉄滓=砂鉄を木炭で製錬する際、溶解で分離した金属類。スラグ。たたら製鉄で「のろ」)の散乱している場所、五輪塔や寺社仏閣の痕跡、そして坂之上西と和田名を直接結んでいた道「七曲の坂」またの名「あんだ坂」(確か市道だが現在は通行止め)などをおよそ3時間にわたって、ほとんど休憩なしで巡りました。
子ども時代の共通の思い出、人名などが、Uくんと歩いていて頭にふっと浮かんできて、ふたりで大笑いをしました。
以下、写真でレポートします。以前当ブログで紹介した遺構などと重複します。ご了承ください。

写真で紹介したほとんどが史跡・文化財として行政に指定もされずにいます。高齢化もあって、一体どんな逸話があるかも伝えていく世代が少なくなって、由来などほぼ不明です。不明であるからこそ、せめて写真でとどめておきたいというのが、散策後の感想です。

Uくん宅にある祠。屋根を葺いて大切に祭っている。屋敷内に点在していたものを1カ所にまとめたとのこと
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Uくん宅の近くの民家の屋敷畑脇にも祠らしきものがあった
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Uくんの家が代々、年末年始に祭ったほか、清掃を欠かさずにしてきたという祠の跡。言い伝えでは祠の下に刀が埋めてある、と。土地の所有者が代わり、「もう祭らないでくれ」と断られた際に、Uくんの父親が土地所有者に「この神様は“アラガンサア”(荒神)と聞くので大切にしてください」と頼んだが、撤去されてしまった。いまはブッシュのようになっている(写真左)。偶然かもしれないが祠を撤去した後に良くないことが起こったとも聞く。一帯の字(あざ)は「野首」。城郭関連の名称。字絵図によると隣接して「宇宿ケ城」の名前があるも場所をまだ確認していない
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坂之上台地の北東の際(きわ)近くにある「馬場公園」。公園自体は新しいが、「馬場」はここの字(あざ)。城郭関連か?
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民家の土手で見つけた鉄滓(かなくそ)。Uくんが「重いね。金属だ」
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その横の墓地の脇にある五輪塔。よく見ると笠の部分が古く、その下は時代が下りそうだ
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国道225号の西の台地に立つ地蔵さん。急な坂を上りきった場所にある。いわれは不明。高さは1・5mほどと大きい。台座に蓮の彫刻が残るが、年号などは風化により見えない。廃仏毀釈の時代を超えて立つのか、地蔵さんの顔はのちにセメントで修復してある。ちなみに坂の名は「地蔵坂」とも言うらしいが、私が子どものころはそう呼んだ記憶がない。地蔵さん脇に見える小道が緩やかなカーブを描いていかにも古い風情。この先を行くと坂之上交差点につながる
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「七曲の坂」または「あんだ(阿弥陀)坂」は和田中学校の横が上り口。いきなりJR指宿枕崎線の下をくぐるトンネルで始まる
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この坂はいまは使われていない。道路が整備されていないので通行止め。立ち入り禁止ではなさそうだが、薄暗く、雑木が道を防ぐ。廃道に近い状態。かつて坂之上と和田名をつなぐ重要な道だったようで、私の父や伯母らは水を汲むためこの坂を往復もした。坂之上は高台にあるため田んぼ近くのわき水で生活水を確保したのだ。「七曲」といいながらもカーブは3カ所。しかし絶壁に近いシラス崖を急勾配で上るのできつい坂。このまま通行止めのままで保存してほしい場所だ
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「七曲の坂」の途中にある一本杉。なにか神々しい。私が子どものころから一本杉だった
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「七曲の坂」を上ると坂之上西・東中の境あたりに出る。その西の土手の上の民家敷地内に仏教関連の遺物が残る
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同敷地内にある庚申塔。これは鹿児島市の文化財に指定されていたはず
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ひとつ高い段にある狛犬・祠。いわれなど不明ながら、狛犬は山川石を使っている、とのこと。対の1頭が行方不明。右に並ぶ祠は時代が新しいようだ
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前述の狛犬などから南へ30mほどの畑脇に地蔵さん。その周囲には五輪塔の残骸が積み上げてある。一帯では成川式土器片などがごろごろ地表に現れている。いまは消滅したが、土塁状の幅3m、高さ1・5mの土手があった。その脇に見えるだけで1m以上の厚さの貝塚のような場所もあった(私の記憶)
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この日に拾った土器片と鉄滓。鉄滓が直径5cmほどの大きさ
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Commented by Tです(⌒▽⌒)。 at 2018-04-07 16:22 x
思い出しては復習の為に読んでます。
年齢を重ねるに連れ、故郷を知るって大事なことだなぁと実感。今後ともお付き合い下さい。
Commented by gayacoffee at 2018-04-12 10:23
Tです(⌒▽⌒)さん、ありがとうございます。
返信が遅くなりました。
年をとってきて古里のことが気になり始めました。
もう少し早く伯父・伯母などから話を聞いておけばよかったと残念に思いつつ、とりあえず画像、物でいまを可能な限り残していければ、と思っています。
これからもよろしくお願いします。
by gayacoffee | 2018-02-22 20:39 | 谷山散策 | Comments(2)

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