こんな本を待っていました! 「中世島津氏研究の最前線」 |

ぜひ読んでいただきたいのが、「中世島津氏研究の最前線」(洋泉社歴史新書・日本史史料研究会監修・新名一仁さん編=右写真)です。
常々、大いなる疑問を抱いてきた、“近世島津氏史観”から脱却と表現するのは著者諸氏の目的とは異なるでしょうが、島津日新公-貴久父子(伊作家)を中興の祖とするばかりか、惣領であった奥州家から本宗家の所領ほかを「禅譲」されたとする、まあ、家譜・家史らしい歪曲を行った結果、鹿児島の中世史は長らく、伊作家正当史観に阻まれ、史料不足もあって、島津本家“万世一系”的なイメージを鹿児島県人も持ってきたと言って過言ではありません。例えば、和田名の伊佐智佐神社一帯にあった玉林城(神前城)も貴久が攻め落とした、と伝えられていますし、加治木のクモ合戦の始まりを義弘(貴久の次男)の朝鮮出兵時の士気鼓舞と伝えているわけで、私は素朴にそれらは本当なのかなあ、と思うわけですね。鹿児島県内の郷土芸能でもかなりの多くが伊作家3代あたりに由来を求めています。できすぎじゃないか? とひねくれ者の私は疑問を持ちます。
各地の“知っちょいドン”はその史観で郷土を誇っておられ、郷土愛ならそれでいいでしょうが、一方で、科学的にどうだったのか、調査・研究し子孫に残す役割を私たち世代にはあるんじゃなかろうか。私はその糸口となるような本を待っていました。あるいはターニングポイント的な書ですね。
島津家の祖、忠久やその生母・丹後局に関してもかなり「伝」が多く、曰く、「頼朝の庶長子」「ご落胤」と。歴史本ではすでに惟宗姓とされていますが、いまだに源姓とされたり、あるいは藤原姓とされたりもします。一体、そのあたりはどうなのか、理由があるに違いないと素人ながら想像というか、妄想をしていたわけですが、ご紹介の同書に背景が書かれています。すっきりしますね。
姓はなんであれ、鎌倉以来、700年もの間、有力武家・大名として血脈をつないできた理由もあるわけで、特に、戦国期に一族やほか豪族・国衆との競り合いをいかにまとめ、「三州統一」をなし、そして近世の大々名家となって維新を迎えたのか、それらに大変興味を持っていました。修験についても島津氏との関係が触れられており、今後の研究が楽しみです。
目次を見るだけで歴史好きには垂涎の1冊でしょう。下に目次と著者を写真で紹介します。
同書にもたびたび記されていますが、今後の中世研究の入り口となる本です。目次ひとつひとつで分厚い研究報告がなされるほどの濃さがあり、そしてその調査・研究こそ歴史不明瞭なる鹿児島にぜひ必要であり、それこそ維新150年にふさわしい事業です。イベントやらスポーツ大会やらお祭り騒ぎは多いものの、今後50年、100年先の子々孫々を思えば、中世はじめ郷土の歴史調査・研究、考古学調査などに予算を手厚く配分すべきとき、と改めて感じた次第。三反園知事・森市長はじめ各自治体首長ならびに議員諸兄、その点はいかにお考えでしょうか?



先日、同じく一所持を先祖とする後輩と仕事をしながら、互いの先祖の苦労をボヤいたのですが、事実の因果を検証する以外に、昔話を家門の誉れなどと思ってはならない、と話し合っています。ミトコンドリアDNAは母系相伝。父系の歴史は虚妄にすぎません。
伊作家の「氏」は訳がわかりません。当家も御一門との姻戚から、島津の通り名が許されたことを知っていますが、伊作家と同じ藤原に氏を変えた政治的事情、自分の名前に「義」の諱(いみな)が含まれることは不快です。
御一門以外は誰でも、島津の時代を耐え忍んで、よくぞ先祖が生き延びてくれた、というほどの気持ちでしょうか。父系の遺伝話とはなりますが、オレのへそ曲りは清和源氏だ、と自覚しています。
ときに、根拠を明示しない雑文を出版して、郷土史家と呼ばれている御仁、いかがなものでしょう。私の師は、定年教師を集めて宿題を出し、ウィキから抜き書きしたらブッ殺す、歩いて研究して書け、とスゴんでいましたが。
台風に翻弄されながらも、幅4メートルの土壇が気になる始末。集落側と比べて、外側は低かったのかな、と思います。難しく楽しい宿題です。
家系を絶やさず、家格を落とさず、所領を減らさず、という一見消極的な姿勢とも思えますが、今日まで家を守ってこられたこと自体が大変なことです。特に、「本家」は絶える運命にありますからね。
一所持ちの庶子を祖先とする家系の同僚がいまして、兄弟相続・養子・婿養子もとらず直系の男子で続いているそうで、次の代も男が生まれているとのこと。珍しいことです。
科学的史料の研究が基本ながら、その家々の口伝など伝承もまたひとつの真実ともいえましょう。個々の誇大広告は誉れと言うことでOKです。ただ、それを歴史にしてしまうのはおかしいでしょうね。その区分が鹿児島ではあいまいかと思います。へたに維新を成した藩だけに、手をつけられなかったのかもしれません。