けさは冷えて目が覚めました。秋の深まり。「15日支払日」
2019年 11月 15日

▲鹿児島市坂之上のJR坂之上駅近くでソバの実が黒ずんできた。秋が深まっていく

閉店後の掃除を終えました。
鹿児島市は晴れながら、風が冷たい(右写真=正午ごろながら太陽が随分低い。焙煎室ドアから南西)。きのうから急に冷えてきて、ことにけさ寒かったですね。寒さで目が覚めました。
「15日支払日」でした。銀行振り込みの手続きは前もって準備を済ませていました。現金支払いと郵便局からの振り込みがあって、昼過ぎに原付スクーターでひと回り。
ジャンバーを着て走りました。途中、冷気が鼻の中をくすぐり鼻炎発生。予め飲んでいた鼻炎用錠剤で大ごとに至らず。

慈眼寺大通りの街路樹、カエデではないかと思いますが、少し色づいてきました(左写真)。
おおむね静かな金曜でした。
きょう鹿児島国際大学は大学祭の準備と前夜祭。大学祭は17日(日)まで開催。18日(月)は祭の後片付けで休校。この間、大学内の2支店「ガヤカフェ」は休業です。
ことしは鹿児島大学の大学祭とかぶりましたね。
夕方近くになると店内に入る日差しが弱くなり、冷えてきました。暖房を入れようか、迷ったほど。
ご近所のお客様がコーヒー豆を買いにきたついでにゆっくりコーヒーを飲んでいかれました。
小学生時代を荒田で過ごしたというお客様。当時はまだ与次郎も埋め立てられておらず、松林がずっと続いた浜で潮干狩りをしたり泳いだりしたそうです。
ある日、子供ばかりで泳いで、夕暮れになって家に戻ったら、行方不明になったということで近所の人たちまで一緒に探していたと。母親にほほを平手打ちされたのをいまでも忘れられない、と語ってくださいました。
▼JR指宿枕崎線「NANOHANA」号が西日を浴びて鹿児島中央駅へ


が志布志経由で来ていたらしいのですが、ご記憶ありますか。たまたま、ちらっとそう言っていた
人がいまして、お尋ねしてみました。
私が初めて九州の地を踏んだのは、中学のとき修学旅行で大阪からさんふらわあで降りた志布志
でした。そのときも、確か、志布志からさらに鹿児島まで行くと行っていたような記憶が薄っすら
とありますが、それが谷山かどうかは、記憶にありません。
自分が住んでいた近くのところまで、大阪南港からフェリーが来ていたのか、と思うと、へえ~と
思いました。
おっしゃるように「さんふらわあ」は以前、といってもかなり前のことですが、谷山港に来ていました。私が中学のころだったか、高校のころだったか、そんな前のことです。
志布志経由で修学旅行に来られたのですか。大隅ではどこを見学されたのでしょうか。

さんふらわあが谷山まで行っていたんですね。感慨深いです。
そのつぎに九州に来たのが、約10年後で大分の中津に当時叔父が
転勤で住んでいて、そこに祖母が行って、入院したので、お見舞い
で行き、一年と少しして、亡くなって、葬儀が中津であったので、
行きました。ずっと、大阪に帰りたいと言っていたそうです。
それから、9年後、鹿児島に住むことになりました。
そうですか、佐多岬がありますね。岩崎さんの所有地だったかと。