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豆があまり動かず。そんな日もありますネ

なぜか日によって、特定の豆が売れる日がある、と以前このブログで書きましたが、今日はランチタイムのお客様が多かったのに、コーヒー豆を購入される方があまりいらっしゃいませんでした。ちょっと寂しいですね。でも、こういう日はあるものです。

気を取り直して数日前の話。
中年の女性とお年を召した女性の2人連れがランチタイムにいらっしゃいました。中年の方は前日もランチを食べてくださったばかり。郊外店という土地柄、2日続けて、というのは珍しいのです。お二人の会話がつい耳に入ったので、来店された理由が分かりました。

お年を召した女性「苦茶亭はもうなくなったと思っていました。以前、ここは中華料理を出していましたよね」
中年の女性「いまはこちらの方(私のこと)がコーヒーとランチを出していらっしゃるんですよ。今月でここが閉店して隣に新しくお店を出されるらしいので、お誘いしたんですよ」
お年を召した女性「あ、そう。でも、久しぶりに来て懐かしいわ。ご主人はいつも黙って料理を作っていらっしゃって、奥さんとはよくお話ししたのよ」

お年を召した女性がおっしゃる中華料理店というのは、今から10年ほど前まで、翁祖雄さん(故人)が70歳を過ぎて始められた飲茶の店「苦茶亭(くちゃてい)」のことです。
翁さんは、鹿児島県吹上町(現在の日置市)生まれ。中国人の父親と吹上生まれの母親の間に生を受け、「中国人」として差別を受けながらも勉学に励み、京都大学(旧制の帝大時代)を卒業後、一橋大学の大学院に進んだ俊才でした。
戦後、祖国・中国に、民衆による国家「中華人民共和国」が誕生したと聞き、「祖国のために尽くしたい」との夢を抱き、横浜から「密航」で新婚の奥さんを連れて日本を離れました。奥さんも華僑の出です。
北京大学の先生を務めていたころ、あの不幸な「文化大革命」に遭遇。知識人であること、母親が日本人であることからスパイ扱いされ、北京から遠く離れた寒村で労働に従事します。妻子とは離れ離れの生活でした。大学の同僚も自殺したり亡くなったりしたそうです。

「文化大革命」の嵐が過ぎ去って、鹿児島に住む翁さんの妹さんが身元引受人になり、ようやく日本に「帰国」できました。その後、大手建設会社に入社、不思議な縁で、赴任した先は北京でした。ダム工事などに関わっておられたようです。

今回の北京暮らしは、以前の苦しみとは違い、仕事のかたわら、中国の古典に出てくるような名所旧跡を訪ね漢詩を読んだり、趣味の切手収集に没頭したり、若いころから好きだった中華料理を学んだりして、定年すぎに故郷・鹿児島で念願の中華料理店を開店されました。
日本人向けにアレンジしながらも独特の味が口コミで人気となり、地元紙や雑誌でも紹介されました。黙々と料理づくりに向かう合間、隣合っているわが家の犬に、話しかける姿をたびたび見かけました。ただ、「随筆かごしま」に寄稿された翁さんの文を読むと、「一体自分は日本人なのか、中国人なのか、そのどちらでもないのか」という苦悩を胸に秘めておられたようです。
オープンから10年。突然の病で寝たきりに。奥さんが10年看病され、昨年5月に永眠されました。

「苦茶亭」の由来を生前の翁さんに尋ねたことがあります。
北京大学にいたころ、とても尊敬していた人がいました。名前は「周作人」。魯迅の弟です。
その周氏の研究室の入り口には「苦茶庵」という額が掲げてあったそうです。
自分の店を出す際、「『苦茶庵』では恐れ多いので、それよりも小さな(建物を意味する)『亭』にしたんです」と話してくださいました。

平々凡々な人生を送っている私などには想像もつかない波乱の一生を送りながら、みじんもそんな姿を見せなかった翁さんに人間の美しさを思い、及ばずとも行き方の手本としています。

「焙煎日記」なので、コーヒー豆の話を最後に。明日、少なくなったコロンビア・スプレモ(中深煎り)などをピッキング、水洗い。焙煎は明後日になるかもしれません。
by gayacoffee | 2008-03-12 19:55 | 焙煎人日記 | Comments(0)

鹿児島発! 生豆を水洗いする自家焙煎コーヒー店の日記


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