コーヒーの自家焙煎を私が始めたのは、ちょうど4年前。ずっと記録をとっている「焙煎ノート」を見ると、平成16年5月24日に焙煎機が届き、その日にテスト用を含め4種類の豆を焼いています。
当時私はサラリーマンで、「定年になったら自家焙煎のコーヒー店を開きたい」と漠然と思っていました。学生時代の夢、というか人生の総仕上げは、「古本屋のオヤジ」か「喫茶店のオヤジ」と思っていました。学生時代、この2個所でいろいろ学んだからです。それに、さまざまな人生経験を積んだ末にたどり着く仕事ではないか、と勝手に思っていました。
「自家焙煎コーヒー」という言葉を教えてくれたのは妻でした。彼女の実家がコーヒー店(現在は移転して飲食店「我家」)を営んでいて、そこで知りました。
でも、ずっとそれ以前の80年代初めに私は、学生時代を送った東京で、すでに自家焙煎コーヒーに出合っていたのです。
同じゼミのOくんが私のアパートに来るなり、「新宿に、高いけどとてもおいしいコーヒー屋があるぞ」と言います。Oくんも私と同じようにコーヒー好きでした。その足で連れていってもらいました。
西口を出て、右手に入ったあたりだったとぼんやり記憶してます。店の名前は忘れました。なにせいちばん安いブレンドで確か1杯700円(当時)。その後、2度と行けなかったからです。
ヨーロッパ調の小ぶりで薄手のカップに黒々としたコーヒーが出てきました。
甘い香り、今思えばモカ系だったと思います。一口飲んで、「なんだこれは」。驚きました。今まで飲んだことのない豊かな甘味と苦味が口に広がりました。後味のなんと甘美なこと…。
「これがコーヒーか?」「いままで飲んでいたコーヒーは一体なんなのだろう」
ショックでした。
コーヒーが好きで、タウン誌のはしりで当時人気のあった「月刊アングル」を見ては、あちこちと喫茶店巡りをしていました。
仲間とたむろするのは狛江駅前の「ぽえむ」、そしてチェーン店「珈琲館」。神田・神保町の古本屋街に行くと「さぼうる」で2時間ほどねばりました。ここは半地下・中2階のある、ボロボロのレンガ壁で囲まれた薄暗い店です。いまも変わらずにあるようです。また、ジャズが好きでしたので、渋谷の「スイング」や下北沢の「マサコ」、新宿の「ダッグ」にも行きました。
でも一番私が通ったのは小田急線「経堂」駅近くにあった「丹桟(ニザン)」でした。名前からして一癖あります。
「昭和荘」という私の住んでいたアパートが経堂にあり、近かったせいもありますが、ほとんど黒に近い深緑の厚手のコーヒーカップには少し縁が欠けたものもあって、それでも平気で使っていましたし、そういったものを使っても構わない自由さ、おおらかさがこの店にはあったからです。
店は、医院跡を改装したとのことで、かつての受付がカウンターに、客席は小部屋の診察室などの壁をはずしため、ちょっと入り組んだレイアウトでした。歩くと硬い板間の靴音が響きました。かの故・植草甚一さんもよく来ていた、という店でした。
今思い返すと、ここのコーヒーも店内にあった焙煎機で煎っていたと思われ、店内には焙煎で出る排煙の匂いが染み付いていました。「ニザン」のコーヒーは乾いた感じの苦味中心でした。
当時の学生のほとんどがそうであったように、私の4畳半のアパートにはクーラーはおろか、風呂もなく、トイレは共同でしたので、まさに喫茶店は「リビング」だったのです。
夏の暑い日には午前中から昼すぎまでいました。友人と談じ、あるときは静かにひとりで本を読みました。店内には軽くジャズが流れていました。
私にとって東京はジャズと喫茶店を教えてくれた街でした。
妻が「苦茶亭」跡を借り、「ランチと自家焙煎コーヒー店・苦茶亭ガヤコーヒー」をオープンしたのが平成14年。コーヒー豆は一度に500gまで焼ける小型の焙煎機を使い、妻が焼いていました。
その焙煎機の調子が悪くなり、焼く豆の量が増えたこともあって、「コーヒーにもっと力をいれよう」と夫婦で話し合い、直火式4kg釜の焙煎機を購入することにしました。軽自動車が買えるほどの価格で、自宅前に小さな焙煎小屋を増築して、私が休日や帰宅後に、将来への夢も託して焙煎を始めたわけです。
まだまだ私も心身ともに元気でしたので、急ぎでコーヒー豆が必要なときなど、夜11時ぐらいから焙煎し午前様になることもありました。翌朝は6時半には出勤していましたから、結構ハードでした。
初めの1年間は、混合焙煎(生豆の段階でブレンドして豆を焼く方法)を試したり、4kgいっぱいいっぱい焼いてみたり、排煙量を調節するダンバーをいろいろ変えてみたり、試行錯誤しています。2年目からある程度、安定した焙煎方法ができるようになりました。
そして3年目。大阪の書店で出合ったのが「コーヒー 自家焙煎 教本」(著者・中野弘志さん)という1冊の本でした。
その中に、「生豆を水洗いする」とあったのです。
かといって、すぐに水洗い焙煎を始めたわけではありません。知識として知った程度でした。なにせ、帰宅後やどろどろに疲れた休日に焙煎するわけですから、ピッキングしてすぐに焙煎するのがやっとでした。とても洗って乾燥させるなんて時間的余裕はありませんでした。
ある日…「焙煎ノート」によると、平成18年9月1日に「研ぐ」とあります。
この前日だったかに「コーヒー 自家焙煎 教本」を読み直したのでしょう、試しに生豆を水で洗ってみました。研いで出てきた泥水。これを見てしまうと、もうすべての生豆を洗わずにいられなくなりました。自分が飲みたくない、と思う豆をお客様に出す気にならないからです。
著者の中野さんは「教本」の中で、焙煎していくうちにほんのりと油が浮いてくるあたりで煎り止めると甘味のあるコーヒーになる、と書いています。私の目標も「甘味のあるコーヒー」です。
以来、今日まで続く目標になっています。
「生豆を水で洗う甘いコーヒー」
もうひとつ付け加えるなら、あの新宿西口で出合った驚きを、いつの日にかお客様に味わっていただけたら、とこれからも試行錯誤の日が続くでしょう。